kisaki treckers May '95 平成7年5月1日発行
かんたんに登れる山に登る。
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もくじ ◆高岡淳四の風雲山登り録・富山五十分登山 ◆田中庸介のお笑い山道場・岩殿山三十分登山 ◆澤尚幸劇場・ワクワクのしかた ◆仰天お手紙 ◆米国の交通機関、について 高岡淳四の風雲山登り録・富山五十分登山 房総・富山1995年3月5日 三月は、何だか大変上機嫌だった。山に行きたい、温泉にも行きたい、とウズウズとした気分でいたのだ。 三月四日の夜、詩人仲間の田中庸介から一本の電話があった。なんと彼は、来週からは仕事で忙しくなるが、明日は暇なので日帰りでどこか山にでも行きたいと言うではないか。私に異論があろう筈はない。 「山さ行くなら、温泉さあるところがええがね。」 と、どこの方言ともつかない言葉で応じ、早速ガイド・ブック取り出して、あれこれと物件を物色しだした。その日の雨は、中央線沿線や奥多摩では雪になっているに違いない。さらに、泊まりなしで風呂にだけ入れてくれる温泉があるところとなると、なかなか難しい相談になる。しかし、あまりに低い山しか存在しないという理由から、かつては我々が相手にする気の起こらなかった房総半島に、その物件はあったのである。その名は富山。死んだはずだよ、お富さん! 標高は349.5メートル。蔵書家の田中庸介の所蔵なるガイドブックによると、その山の麓の岩婦温泉には2件の温泉旅館があり、旅人の疲れを癒してくれるとあるらしい。 翌日3月5日の朝の空は、まさしく晴れ上がっていた。集合は午前9時東京発その名も高き内房線特急ビューさざなみ号の3両目。昨年の10月に両神山に行った時には、最も交通のアプローチのよい所に住んでいるにも拘らず大幅に遅刻して皆の顰蹙を買った私は、少し早めに家を出た。しかし、見込みの甘いのが私の弱点である。最寄り駅西武池袋線の中村橋駅の踏切が、その時間に「開かずの踏切」となることをすっかり忘れていたのだ。まだ間に合うが、これで余裕はなくなった、と焦る私の気持ちなど意に介さずに電車が一両出発する。その間に近くのパン屋で昼食用のサンドイッチと牛乳を購入した。これが、その日の2人の唯一の食糧になるとは想像することもなしに。 丸ノ内線の東京駅について、内房線のホームまでは数百メートルあることを思い出す。出発時刻まではまだ10分あったが、切符を購入する時間を入れればギリギリのタイミングになるだろう。そのようなことを考えて歩いていると、やはり山に行く格好をした3人連れのおばさん達が前を小走りしている。しかし、不思議なことに、早歩きの僕はいつの間にかおばさん達に追い付き、追い越してしまった。結局、発車5分前には約束通り3両目に座っている田中庸介を発見し、喫煙車両を嫌がる彼と共に、禁煙車に移動した。 特急さざなみの中のさざなみ、ビューさざなみ号は東京湾岸をひた走った。青い空、青い海原、眩しすぎる位の陽射しである。これから、南の方に行くのだと思うと、胸がわくわくする。 「これが、昨日言っていた『いで湯の山旅ベストコース』なのだ」 と言って本を差し出す田中庸介。彼と旅行をする時にいつも驚かされるのは、リュックザックの中から山のように出てくる本の類いである。いつぞやは、関係がありそうなところには入念に付箋をした分厚い時刻表をまるごと持ってきていた。彼の家にコピー機があることを考えると、この人は、荷物を担いでいないと空中浮遊してしまうとでも言うのか、と、からかいの一つも入れてみたくなる。この日も、その他に4冊位持ってきていて、私は岩井駅までの2時間弱、全く退屈することがなかった。 10時半頃に岩井駅に到着。今日の行程が約3時間半であることを考えれば、全く妥当な時刻である。夏になれば岩井海岸に行く海水浴客で大いに賑わうというこの駅も、季節外れのこの日には10人程が降りるのみだった。ほのかに海の匂いがした。早速、ホームの水飲み場で、空のままで持ってきたポリタンクに水を汲もうとしたが、蛇口の位置が低すぎてなかなかうまく行かず、半分位溜まったところで、まさかこんな山で遭難することもなかろう、と出発することにした。 30分程歩くと福満寺の登山道入り口。簡単な地図があり、鶴屋南北南総里見八犬伝ゆかりの土地とある。 「今日の登りは一時間だから、のんびりと行きましょうよ。」 と田中庸介。コンクリートの道を入って暫くすると、一合目との石柱があり、50歳ぐらいのおじさんを追い抜く。地元の人かしら、などと思いながら、緩やかなペースで進んで行く。表参道と呼ばれるこの道は、もちろん舗装などなされていない山道とは言っても、車が通れる程に広くて、大変歩き易い。これが本当に登山道だろうか、という疑念も起こる。少し標高を稼いで、時折、木の合間から青い海がのぞくようになった頃、小さな分かれ道が現れた。 「あっちに行くんじゃないですかね。」 「じゃあ、入ってみますか。」 その小道を暫く行くと、水仙の畑が現れた。樹木に遮られることなく、光を湛える海を背景にした白い花の群れは、私たちに特急に乗って暖かいところにやって来たことを実感させた。しかし、そこで小道は行き止まりだった。間違えたとはいっても、もちろん文句を言う気の起ころう筈はない。 小道を引き返して、登山道に戻る。順調に、二合目、三合目と書かれた石柱が現れるところを見ると、どうやら、私たちは正しい道を歩いているようである。四合目を過ぎると軽い下りに差し掛かって、ここで2、3人の人が下山してくるのに会う。行き交う人は多からず、少なからず。これが、理想的な登山である。 鞍部に辿り着くと、やや急な階段の登りが現れる。私たちは、ここまで、あまり早く頂上についてはもったいないと、ゆっくりとしたペースを保って来たが、私は階段歩きは嫌いである。また、少しは汗をかき、息を切らして、山歩きの気分を味わいたいと考えた。後ろでのんびりと歩いてくる田中庸介から離れて、勝手にペースをあげることにした。私は、風景を味わいながら歩くというのが山登りの基本だが、ただ無心に体を動かすことで、高揚感を味わうこともまた醍醐味であると考えている。好きな音楽が、頭の中を横切って、やがて、知らないうちに止んでいることに気付く。 七合目で、3人組のおじさんのパーティーがコンロでお湯を沸かして、ラーメンを食べているのに出会った。ここは、海の眺めが大変良いところだったので、田中庸介を待ちながら暫く佇んでいたいと思ったが、彼らに申し訳がない心持ちがして、あまり長くはおれなかった。歩き出した私の背後から 「悪いな。景色がいいところを占領して。」 という声が聞こえた。 もう暫く行くと、目の前に仁王門が現れる。富山南峰は、もう目と鼻の先である。木のベンチに座って一服つける。寝そべったり、シャドー・ピッチングをしたりして、田中庸介を待つ。人に見られれば、なかなか恥ずかしいが、そのような心配はなさそうである。相当離れているのかと思ったが、大した距離ではなかったので、5分もすると、どうやら当初のペースを守り切ったらしい田中庸介がゆるやかに現れた。 仁王門の階段を登り切って、せいぜい 100メートルも行けば、南峰の山頂である。結局、登りに50分もかからなかったわけである。木が生い茂っているために、生憎、展望は非常に悪い。ここで田中庸介持参のカメラでお互いの写真を撮って、アンテナのたつ北峰に向かう。 北峰の山頂は、広くて、素晴らしい展望が開けていた。空は相変わらず晴れ上がり、海に臨めば、三浦半島はもちろん、伊豆半島や大島も少し霞んで見渡せる。まさに、300メートル程度の山だからと言って、ゆめゆめ侮ること勿れである。私は、三浦半島を見て地図の通りの形をしていると感心した。後で考えてみれば、当たり前のことなのだけれども。ここで、山に入った時に、私たちが追い抜いた筈のおじさんが、先に山頂に着いていることに気付く。田中庸介が声をかける。 「いや、あなたたち、どこかに寄っていたのかね。」 と、おじさん。途中で、道を間違えて水仙の畑に入り込んでしまったのだと説明する。しばらく話をして、この人もまた、東京の人で、前日の雨から、奥多摩や高尾山塊を敬遠して、ここにやって来たということを知る。下山して、温泉に入る予定だそうだ。いや、世の中には、必ず同じようなことを考えて行動している人がいるものだ、と私は感心した。 ここで、食事をとる。田中庸介が、弁当を忘れてきたと言い出したので、朝に買ったサンドイッチを半分あげることにする。田中庸介は、90円のチョコレートだと言って、何やら見たことのない包みを取り出す。なんでも、去年アメリカで買ってきたものだそうで、値札を見ると1ドルとある。なかなか美味しい。日本では200円位はしそうである。アメリカは物価が安いと、私は感心した。その後、ドルが更に値を落としたので、原稿を書いている今、あのチョコレートは82円位になっている筈だ。 私たちは、この山頂にある見晴らし台に登ったりしながら、遠くの景色を眺めて、ひたすら、ぼーっとして過ごした。ぼけーっとするために、はるばる東京からやって来たのだから。 2時間近くもそのように過ごして、私たちは山を降りた。裏参道と呼ばれる下山道をひたすら下ると、1時間足らずで舗装されていない車道に出た。途中で、何やら工事をしていて、現場のお兄さんに呼び止められる。何か、と思ったが、お兄さんが指差すプレハブの窓には、洞窟の写真が張られていて、説明によると、ここが南総里見八犬伝に出てくる 「伏姫ノ籠洞」 だということであった。工事中で、中を見せられなくて申し訳ないから、写真で我慢してもらっています、とのこと。私たちは、基本的には山に来たのだから、洞窟を見ることが出来なくても何の文句もないし、むしろ、お兄さんの心配りを嬉しく思う。 さて、行きに歩いてきた車の行き交う車道を渡って、私たちは岩婦温泉に向かった。田中庸介が持って来た例のガイドブックによると、この温泉には2軒の旅館があるということだった。途中には、私の母親の田舎の淡路島を思わせる懐かしい匂いを放つ牛小屋もあった。たんぼに挟まれた道を歩いていくと、やがて、一軒目の旅館が目の前に現れた。その手前には、どこかの放し飼いらしい犬が座って、私たちが目の前を過ぎ去るのを吠えるでもなしにじっと見ている。私は、 「強そうな犬だな。」 と思った。私たちが、その一件目の旅館の手前で入るかどうか考えていると、犬が、尻尾を振りながら、もう一軒の旅館を目指して歩き出すではないか。 「案内してくれるのかな?」 と、いうわけで、犬について行く。犬は、本当に私たちを100メートル以上離れた旅館の前まで先導し、あらたに車がやってきたのを見ると、そちらに向かって走っていった。私たちは、旅館に入って、おばさんに、入浴したいと言い、 「あの犬は、おたくの犬ですか?」 と尋ねた。おばさんが言うには、 「あれはね、うちの名犬ペロちゃん。自分の食い扶持ぐらいは働いてくれるみたいよ。」 この旅館が、もう一軒と比べて、かなり奥まったところにあることを考えれば、この犬の稼ぎは、犬一匹の食い扶持どころではない。私は、そう考えたのだった。 風呂場に行くと、山で会った東京から来たというおじさんが出てきた。まさに、二度あることは三度あるであり、名犬ペロちゃんさまさまである。浴槽は小さかったが、お湯は、じんわりと体に染み入ってくるようで、私たちの長旅の疲れを癒したのだった。 今回の山登りは、人に誇れる程の苦労をした訳ではない。しかし、天気に恵まれて、素晴らしい展望を味わうことができた。しかも、名犬ペロちゃんに名湯に案内された。非常に満足度の高い山登りであった。これまで、1000メートルはないと山じゃない、と思っていたふしのある私にとっては、自分の登山スタイルを考えるいい機会になったのではないかと思う。こうして、私の山登りは、まだまだ続くのである。 田中庸介のお笑い山道場・岩殿山三十分登山 中央線沿線・1995年3月21日 ちょっとした山歩き。私たちは、ほんのちょっとした山歩きを試みるようになった。本当にささやかな春のレジャー、に出かけたい。 「ほんの少しだけ、きみを幸せにしてあげたい」 というようなアウトドアのサービス。ありがたいサービスだ。 中央線大月駅から岩殿山に登る。「岩」「殿」「山」「登」「山」「口」の六枚のカードが掲げられた商店街から陸橋へ曲がる。川を渡り、コンクリート舗装された公園の散歩道を上がっていくと30分で山頂だ。おまけに途中は工事中であった。房総の富山も50分で登ることができたが、ここのところ登頂時間がどんどんと短くなっていく山ばかりだ。 「2時間登頂の山」 という本があるが、さらに過激に単純である。 城跡公園の山頂の一角は展望がよい。中央高速道路の音が響く谷に、大月市街が一望される。対岸に前道志の山が見える。 「草の葉が揺れる風景が見たい」 と、いうことであったが、たしかに草の葉が揺れている。お昼にする。コンビニおにぎりとお茶。それからチョコレートを食べた。 中央線の特急はずいぶんとよく来る。大月駅に止まり、また出ていく。そして止まらないタイプもある。これは速い。 途中の分岐から縦走路に入ると、落ち葉が積もってやっと山道らしくなった。本日のコースは、さすがに最後までコンクリート舗装されているということはないようだ。 「稚児落し」 に向かう。道標は完備している。 途中の岩場のところでは、鎖場があった。鉄の足場ががんがんと打ち込まれているので、問題はない。ガイドブックに出ていた 「スリリングな山歩き」 というのはここのことか、と思う。 尾根を表側や裏側にまわりこみながら、縦走の山旅は続く。南側からは大月市街の展望がよく、いかにも 「中央沿線の山」 という感じがする。裏側に回るとやっと中央高速道路のひっきりなしの音が小さくなるので、少し深山幽谷感が出てくるようで、ここのところで顔を真っ赤にして休んでいる先行パーティに初めて出会った。 小さな神社のあるピークから少し下った鞍部は良いところだった。チョコレートを食べた。鞍部を吹きわたっていく春の風が気持ちよかった。まだ芽ぶいていない、やわらかい早春の山に囲まれた谷間だった。山の裏側にも集落が見えた。集落の裏になかなかよさそうな山があった。地図を見ると 「セーメーバン」 という山である。名前からしてあやしい。事実、注意として、 「この山域は経験者・好事家向き」 というような解説がある。うーむ、と思う。隠れ山を目撃した、というような感じがあって、少しうれしい。まあ、言い替えればただのヤブ山だということなのかも知れないが。 セーメーバンの向こうに、南大菩薩連峰と思われる山が見えた。遠くの山を見ていると、ここに来てよかった、という気持ちがこみあげてきた。とにかく、そこで腕組みなどをして、遠くの山を見つめて考えていた。 しばらく考えると、もう十分考えた、という気がした。そこで、再び歩き出して 「稚児落し」 をめざすことにする。コースの初めから道標にあった稚児落しにはなかなか着かない。 稚児落しは、ものすごい崩壊岩壁である。何か昔の名所旧跡でもあるのだ。すごいなあ、と口に出して言う。チョコレートをまたまた食べる。 そこからの道はかなりとんでもなかった。ものすごく滑りやすい土の急斜面を、張ってあるロープを頼りにひたすら急降下するのだ。スリリングどころの騒ぎではない。この斜面の下部では、道はとげのある薮に完全に覆われていて、さらにそれが竹薮の中に消えかけていた。ある屋敷の裏庭で、子供が 「ぎゃーぎゃー」 泣き叫んでいるのがそこからよく見えたので、 「あそこに降りるのかよ」 と思いながら足場の悪い薮こぎを続けていった。すると、そのお屋敷とは関係ない、別の何かものすごい廃屋の裏庭のようなところからあっけなく舗装道路に出た。この舗装道路を延々と歩いて、大月駅に戻った。 この山の最初は道は良すぎるほどで、最後は最悪であった。これほど道のグレードが変化するコースも珍しい、のではないだろうか。舗装道路の見晴らしのよい坂を、気持ちの良い風に吹かれて下っていった。 あとから調べると、地図にある「つり橋」は通らなかったので、最後の下降は地図のガイド通りではなかったのかも知れない。 でも今回は、中央沿線のいろいろの山がよく見えて、なかなかよい一日であったことだなあ、と納得した。大月駅のJRカレーがうまかった。 澤尚幸劇場・ワクワクの仕方 私は結構旅好きだとは思うけれど、昨年末から今年の春にかけては本当によくあちこちいったもんだなと感心してしまう。昨年末のニューヨーク・ワシントンを皮切りに、2月に名古屋、3月に京阪神、そして、4月に福島県の郡山と、毎月どこかに行っている。このくらい頻繁に旅行を続けていると、行った先がどうのこうのということとは別に、旅行そのものについても考えさせられる場面がある。例えば、今回の場合はこんなことに気がついた。どういう手段で、どのようにその街を訪れたのかといったことがその街の印象を作る上で重要だなということだ。最初にこの感覚に遭遇したのは、私の故郷の近く、訪れた回数も多い他ならぬ名古屋に行った時だった。この旅の後、ニューヨークを思い返してみると、旅行の手段が異なるだけでその街の印象というのは大きく変わるものだということを再認識することになった。見知らぬ街に行くということだけで十分「ワクワク」するものだけれど、その「ワクワク」の度合い、すなわち「ワクワク度」というべきものが、その手段によって大きくもなれば小さくもなる。そして、その「ワクワク」の種類とか質といったものも変化する。これはおもしろいなと思う。この辺りの整理も兼ねて、「街への行き方」という視点で、昨年からの旅を振り返ってみることにしよう。 1 名古屋 訪れた順番からいうとニューヨークなのだけれど、この問題は名古屋訪問がきっかけなので、ここからお話しなくてはいけない。事の発端は、同僚のM氏の大阪行きの付き添いにあった。最初は、途中まで東名ドライブを共に楽しんで、適当なところ(東京まで比較的簡単に電車で帰れるところ)で降ろしてもらおうと思っていた。しかし、私が優柔不断だったために結局名古屋までいくはめになってしまったのだ。まあ、旅は新しい発見を求めているようなものなので、一歩足を踏み出してしまうと収拾が着かなくなるものではある。東京を出たのは昼過ぎ、名古屋が近づくころにはとっぷりと日が暮れて、ノスタルジックな夜の東名になっていた。 「名古屋でこんなノスタルジーを感じるなんて。」こういった感覚になったのは初めてだった。見慣れた街でもあり、どうもパッとしないのに。その新発見に「ワクワク」している間に車は名古屋ICを出ていた。 「どこか近場の地下鉄の駅で降ろして」 と一応帰り支度を始めたが、名古屋の広い道路を走っていると、いつもの名古屋とは違うイメージがどんどん増幅されていくのだ。 「車で来たからだ」 ということに気づくまでにはまだ少し時間が必要だった。名古屋弁がたなびく街には居るのだけれど、車という非常に閉鎖的な空間のままで、しかも街のはずれから名古屋に入るという今までにはない入り方をすると、近代的な高速道路と広い道、そういったものだけが抽出されてきて、それが強調される。だから、鉄道でしか名古屋を訪れたことの無い私には、都会的で、無機質なそういったノスタルジーが感じられたのだ。そう、なんとなく(テレビCMの中で東京の首都高湾岸線を走っている)と形容したらピッタリといった、そういったノスタルジーであったと記憶している。 とまあ、少々大げさだったけれど、車という別の手段で違った角度から旅をするということが意外な発見をさせてくれるものなのだ、というのは発見だった。新幹線を代表とした鉄道では、到着したらそこは街の中心であるということが多い。名古屋駅というのもそうだし、東京駅は本当にど真ん中にやってくる。そこまでの道筋がないわけではないが、いつも同じルートだし(シミュレーションゲームのようにそこらじゅうにレールを引くわけにはいかないから)、だいたい、通過速度が早い。しかし、車の場合は都会が近づくと、とにかく交差点は増えるし、ちょっとずつちょっとずつ街というものに触れていくことができる。その街というものの香りといったものに少しずつ染まっていく、その緩やかさがある。名古屋の場合も名古屋のはずれのICを出て、名古屋西部の中心地「今池(いまいけ)」で車を降りた。まだ、名古屋の中心は遠い。しかし、ここは紛れもなく名古屋市内。いつもと違う名古屋を見たように感じた。明らかにいつも電車で来るときの「ワクワク度」よりは大きい。 「そりゃいつもと違う経路で来たんだからそうでしょ」 という方もおられるだろうけれど、名古屋にはこうした緩やかな入りかたの方が適しているのかもしれないということなのだと思う。 2 ニューヨーク 初めての時差のある国の訪問。それだけで十分にワクワクする。自称音楽家である私にとっては、自称写真家のT氏が 「刺激的。とんでもない街」 と形容しただけで行きたくて仕方がなかった。その辺りの感想は別の機会として、とりあえず、ニューヨークには飛行機で行くことになる。国内でも飛行機は使うが、日本と違うのは「成田空港」とか「羽田空港」とか無機質な名前ではなくて、「ジョン・エフ・ケネディ空港」なんていう素晴らしい名前がついている空港に降り立つということがうれしくて仕方がない。 ニューヨーク初心者はみんなそうに違いないと思う。そうしてワクワクしていると、無事に着陸。ただし、空港なんてどこでも同じで広い以外は日本の空港と変わらない。それどころか空港ビルはお世辞にもきれいじゃない。暗いしね。 それはさておき、こうして飛行機で行く場合、実は空港から中心街まではリムジンバスとか鉄道で移動することになる。だから、ワクワク度というのは空港から何で行くかということに左右される。今回の場合の選択肢としては、タクシー(いわゆるイエローキャブ)、バス、地下鉄があったが、安くかつ安全となると、断然「バス」とものの本に書いてあったので、「バス」にした。 バスはハイウェーをダンダン走る。訳のわからないほど入り組んだインターチェンジを通過していくと、遠くにマンハッタンの摩天楼が見えてくる。名古屋の時は夜だから、遠くに「名古屋のテレビ塔が見える」といったような感動はなかったが、ニューヨークの場合はエンパイヤー・ステイトやワールド・トレイド・センターがくっきり見える。 「う〜ん、もうワクワク」 である。これが地下鉄だとこうはいかない。着いたらマンハッタンだから、こういった少しずつワクワクが増えていくという感触は得られない。今回のマンハッタン入りのもう一つのおもしろさは、このバスが最後にあの数ある橋ではなくてトンネルを通ってマンハッタン入りしたということにある。トンネルをくぐる直前には摩天楼がそれこそ行儀良く並んで見えていたのに、ものの数分で出たところには万華鏡を見ているように上を向いて聳えているのだ。この唐突感もよろしい。 「さらに、ワクワク」 ということになる。 ところで、今回の旅行で、私は鉄道を使ってニューヨーク入りする機会もあった。この時はまた別の味わいがあった。街によってはベストの交通手段というものが必ずしもないということの証でもある。ワシントンからのアムトラックは非常に早くからハドソン河のトンネルに入る。アメリカ東海岸は非常に地盤がしっかりしているので、ばかすかトンネルを掘ることができるようだ。東京のようにだらだら住宅地が続くという都市ではないので、まだ葦やらペンペン草やらなんやらが生えているような湿地帯からトンネルに入ると、いきなりマンハッタン中心のペンシルバニア駅に到着する。このギャップというのは、いわゆるワープ・カタストロフィックな味わいを与えてくれる。江戸時代からいきなり現代にタイムスリップしたとでもいうような、そうしたワクワクだ。 帰ってきて思うのは、やはり 「すごいエネルギー」 ということだろう。マンハッタンの鋭角的なエネルギーの突出が、こうした不思議な感覚を作っているように思う。5月に再度行くことにしてしまった。今度は地下鉄でマンハッタン訪問を果たしてみようと思っている。バスでもアムトラックでもない新たなニューヨークが発見できるに違いない。 3 京阪神 大阪には新幹線で行ってしまった。しかし、阪神大震災の後だったということで、妙な雰囲気がした。いつもだと、九州の人が乗っていたりするその車内に、乗っているのはどうみても関西の人だけだったからだ。そうは言うものの、街に入るにあたって、新たな感動というのはなかった。 逆に、街から出ていく時に、私は特別の感覚を覚えた。それは近鉄電車で大阪を後にしたときだ。ご承知のとおり、大阪というのは私鉄が非常に発達している。近鉄もご多分に漏れずターミナルの上本町は大きい。そこから複々線のレールが一直線に延びているのだ。これはニューヨークを後にしてワシントンに行ったときの気持ちに通じるなと思った。都会を離れてだんだんエネルギーがなくなっていく、ボルテイジが下がっていくその解放感といったものだ。東京を出る時にはそうした感覚になった覚えがない、いつまでたっても街があって、ボルテイジ下がる前に寝てしまうからかもしれない。 4 郡山 最後は福島県。郡山はもう4〜5回は訪れている。大半は東北本線各駅停車青春18キップ消化という名目である。今回は、最初、郡山は素通りして、磐梯熱海温泉に行った。ここから帰りにバスで郡山市街へ入ったのだ。田圃の中の狭い道をバスは走っていく。そのうち国道に入って、いかにも地方都市のバイパスといった道を走っていくのだ。そうした中で、この街の雰囲気というのが少しずつバスの中にも入ってくる。そして、街の官庁街が意外に寂しいところだとか、国道4号の直前から本格的な街になるんだとかがわかってくる。そうすると、郡山という街がなんとなくつかめるのだ。これは今まで数度訪れた郡山でも初めての体験だった。そう、鉄道で来るといつも都心に来てしまい、歩けば歩くほど人気が無くなり寂れていくのだ。今回の場合は逆で、最後に行くほど賑やかになっていく。前者がワクワク度の低下だとすると、後者はワクワク度が上昇する訳だから、やっぱり、この街を感じるには、後者の方がよいように思う。 唐突に入るのが良い街もあれば、じっくりと、江戸時代の旅のように一歩一歩入るのが良い街もある。自分にエネルギーがある時には「バシッ!」とその街に入ってしまうのも一つの方策であると思う。一方で、街の外郭から少しずつその街の香りを味わいつつ深みに入っていくというのも、やや疲れ気味の方にはよい処方だろう。いずれにしても、同じ街を何度となく訪れて、その街にあった行き方を見つけてみたいと考えている。 仰天お手紙 ◆織田理英・江戸川区・26才会社員◆ ◆早坂類・所沢市・歌人◆ ◆城戸朱理・杉並区・詩人◆ 米国の交通機関、について 対談・田中庸介×澤尚幸 田中 アメリカでは、どんな電車に乗りましたか。 澤 ワシントンへのアムトラックですかね。それと、ニューヨークの地下鉄。 田中 私は、サンフランシスコでキャルトレインに乗りました。 澤 アムトラックはマンハッタンのペンシルベニア駅から出発するんですけど、これがなかなか出来損ないの未来都市みたいでおもしろい。 田中 そうですか。 澤 地下に10面くらいのホームがあって、高さは数10mはあるでしょうね。地下の巨大空間です。ニューヨークにはもう一つグランドセントラルという駅があるんですが、これは2層式でかつ地下にあるから、それはすごい。昔あった、銀河鉄道999のアンドロメダの駅みたいですよ。古いけど。 田中 サンフランシスコの駅も、やっぱり10面くらいのホームがありました。そこにいっぱい列車が止まっていて、1時間おきに端から1本ずつ発車していく、という仕組みでした。なにか日本よりおおらかな電車の使い方ですね。 澤 ニューヨークの場合はおおらかを通りこしていいかげんでしたね。電車は5分前にならないとどこから出るかもわからない。私が乗ったアムトラックはボストン発ワシントン行だったのですけれど、5分遅れますと表示が出たあとで、発車番線が出たり、また消えて5分遅れとなってたりして、結局乗れたのは10分あとでした。おまけに自由席でみんなホームへ走るんです。あれじゃ、出稼ぎ列車とおんなじですよね。その割には空席が多かったけど。 田中 ホームでは待てないのですか。 澤 ホームは真っ暗ですから。待つのは自由かもしれませんけど。そういえば地下鉄も暗かったですね。白熱灯がぼんやり光っていて。シスコにも地下鉄あるんでしたっけ。 田中 走ってるみたいですね。あいにく乗る機会はありませんでしたけど。それより、ムニというトロリーバスが発達している町でした。ムニというのは何かの略で、街中を走っています。 澤 何かの略ですか。私はトロリーバスというのは乗ったことが無いのですが、架線が無いところに行ってしまったらやっぱり止まってしまうんでしょうね。運転手の技量が問われるというか。いわゆる市電だったら、線路がないところには脱線でもしない限りいかないし。 田中 ときどきパンタグラフがはずれるみたいですよね。道の脇に止めて、一所懸命ドライバーがパンタグラフをいじっているようなところを見たような気がします。 澤 お客さんも一緒に押したりして。それでもだめならその辺の街の人がお手伝いとか? そうか押すわけじゃなくて、パンタグラフを直すのね。すいません。 田中 でも、バスドライバーもすごく楽しそうに仕事してましたね。ああいう街の空気はいいなあ。 澤 今度また行くので、缶詰にして持ってきましょうか。 |