kisaki treckers Oct '95 平成7年10月1日発行
ニューヨーク旅日記。
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もくじ ◆澤尚幸劇場・ニューヨーク旅日記 ◆MAILBOX 澤尚幸劇場・ニューヨーク旅日記 「ニューヨークは人を極度の緊張状態へと追いやり、その緊張が解けたとき、ニューヨーカーととてつもない早さで会話している自分がいた。どんなことでもできてしまうというような気がする街だ。」 ・・こんな手紙がやってきたのは、1994年の夏のことだった。建築家でありまた写真家でもあるこの友人、玉木興陽の発言は、音楽への思いを捨て切れない私にとって非常に衝撃的なものだった。日本を離れて、ニューヨーカーとなってしまう日本人アーティストは多い。きっと彼らもこうした高度な緊張状態とそこから生み出される「何か」を求めたのだろう。その「何か」をこの手にしようとするなら、私もぜひニューヨークに行ってみなければならない。そこにはきっと、東京や日本国内にいては決して得られないものがあるのだ……。 そう思って半年が過ぎ、1994年の暮れもおしせまった24日クリスマス・イブに、私はついに念願のニューヨークに向けて旅立つことになった。 ニューヨークは、やっぱり遠かった。 さて、ニューヨークというとどんなところなのか。いざ行くとなるといろいろと情報収集が必要となってくる。これが、南の島にでも行ってのんびりと日光浴というのなら、空港からホテルに直行ということになるので、情報収集といってもそれほど真剣にならないのだけれど、ニューヨークというのはとかく治安が悪いという話を聞かされている。ブロンクスあたりだと、二十歳になる前に二十人に一人は犯罪に巻き込まれて死んでしまうのだそうだ。刺激的なニューヨークを体験するのはよいが、おだぶつなどということになってしまっては身も蓋もない。 まずは、ガイドブックを購入するしかないと思った。文献で情報を収集するのだ。ニューヨークを対象としているガイドブックというのには必ず「治安」、「身の守り方」なんていう項目があるので、特にそれをしっかり読むことにする。それから玉木に電話だ。とにかく、ニューヨークの在住者に電話するのが一番である。ただ、どういう訳かこの人はいつ電話しても電話に出ないのである。こういう大事な時に連絡がつかないというのも困ったものだ。 ニューヨーク行きを決めてからの一ヶ月というもの、勤め先に行く電車の中でも「ガイドブック」、昼休みには「ガイドブック」、本屋に行っては「ガイドブック」、おやすみ前にも「ガイドブック」という日を過ごした。 ガイドブックの指導によれば、危険に対処するには、一言で言えば「ニューヨーカーのふりをするのがよい」ということらしい。それは、「すきを作らない」とか、「ぼっとしない」とか、「日本人にありがちな観光者癖をなくす」とか色々な表現がなされているが……。 「ハーレムもいろいろあって、ブラックハーレムというのが本当のハーレムで、そのハーレムも昼間は大丈夫なんだけど、イエローキャブ(タクシー)は行きたがらないのね」 とか、 「地下鉄って意外に乗れるのね」 とか、 「バスはもっと安全だ」 とかそういう雑多な情報が、脳細胞に着々とインプットされていった。そしてそんな一ヶ月はあっという間に過ぎ、ついに出発の日がやってきた。 成田空港は年末大移動には少々早いらしく、まだそれほど混んでいない。 「静かな空港の朝。」 という感じだ。爽快感すら感じる。今回は全日空の10便。日本の航空会社だという安心感も手伝い、搭乗前でわくわくしてくる。その一方で、パスポートはどこに入れたんだっけとか、セイフティーバックは大丈夫かとか、妙に気になるもので、トイレに行っては腰にしっかりとつけたセイフティーバックの中身を確認し、「安心、安心」などと一人でうなずいているのである。 ついに搭乗案内が流れる。 「全日空10便ご搭乗のお客様……」 いや、とうとうですね。やっとニューヨークに行けるという幸福感で人生バラ色になる(う、気持ち悪い)。 ブリッジで機内へ。ここらあたりにくると少しくらい旅慣れたふりをしたくなるわけで、雑誌を「さらり」と棚から取る。 「う〜ん、おっしゃれ。」 などと思ってしまう自分も恥ずかしい。 成田空港は世界一混雑する空港なのだそうだ。前の前…の飛行機も順番待ちをしている。この飛行機も定刻を三十分遅刻して、無事に離陸した。 離陸してすぐに地球が丸いことを実感することになる。それに太陽の存在も。離陸後1時間位でいきなり夜になってしまった。中学の頃に「地学」で学習した自転を頭に描きながら、どうして夜になったのか一所懸命考えることにする。 「こっちが太陽で、地球はえ〜と、東から日が登るんだから反時計回りで。」 とか考えるわけだ。 「今、一所懸命アメリカに向かって飛んでいるわけだから、そうか地球の陰になって夜になるわけね。」 などと納得する。こうやって考えると地学も楽しい。(これは、しかし、帰国の時には常に昼間だということで再度頭を悩ませることになる) とにかく今は昼ではなく、もう夜なのだと思いこむしかない。連れの佐藤と酒を飲んでとにかく寝る。佐藤は勤め先の同僚で、一緒に昼めしをたべている時に 「今度、ニューヨークに行くんだけど、どう。」 という一言に 「いく、いく。」 とふたつ返事でついてきた人だ。私と同期で三十歳。東京出身で、なかなかいい人だ。最近、どうもお仕事が忙しいらしい。 でもそう簡単に寝られるわけがない。座席も狭いし。ガイドブックを見てはうとうとを繰り返す。機内は結構寒い。 もう六時間は過ぎただろうか。相変わらず夜である。運良く、というか、お客さんが少なかったのでどこにでも座れたのだけれど、窓際だったので外を見る。夜だが、ところどころに街らしき明かりが見える。アラスカのどこかだということは分かるが、正確には不明のまま。その明かりも非常に間を置いている。日本だったらここまで街に間隔はないだろうと思う。白く光って見えるのは雪か氷か? とにかくその広さに圧倒される。そうこうしているうち、私はしっかり眠ってしまった。 気がつくと日がのぼりつつあった。少し氷の張った湖などが見えるようだ。どうも寝ぼけている。そのうち雨となる。せっかくなのに雲におおわれて何も見えないよ。 「チェッ!」 である。そのうちに空港案内が始まる。いつでも入国審査というのは緊張するものだ。だいたい、検査されるということ自体気持ちのいいものではない。自分に負い目がなくても、あの、なぜか警官を見ると 「すいません。わたし、何かしてましたでしょうか。」 といった小市民的感覚にさいなまれるのと同じだ。そこを今から通るのだ。その後に税関だってある。今までのオーストラリア旅行では二度とも素通りだった。今回もそうだといいなと期待する。ただ、あまり素人ぽいのも良くない。そう、「ニューヨーカーのふりをする」のだから。ということで、頼みの綱のガイドブックの「入国」のページを読み返すこととする。 ニューヨーカーを目指して。 JFK(ジョン・エフ・ケネディ)空港とはなんといい名前だろう。これが日本だとどうも様にならないようだ。有名な首相といったらいろいろあるが、例えば吉田茂空港とか、池田隼人空港とか言っているわけだ。どうもピンとこない。なぜ日本人の名前というのはこうした公共施設の名前には向かないのだろうか。名前がついているのは○○講堂のたぐいしかないように思われる。とにかく、フランスはシャルル・ド・ゴール空港だし、イギリスはヒースロー(これは人の名前でしたっけ?)、なかなか映える名前だと思う。 そのうち、高度が下がり、空港が見えてきた。本当に大雨だ。飛行機のカメラから見る滑走路も雨に濡れている。そして、飛行機は着陸した。 飛行場そのものは、日本の空港と変わらない。広さも、本来飛行場というのは広いものだから、その広さについては実感が湧かない。そもそも、飛行機のあの「ちっ……さい」窓から見える範囲というのは結構狭いのだ。「ありがとうございました」の声とともに、飛行機を後にする。 ふんどしの締め直しだ。これからは「ニューヨーカー」でなくてはならないのである。そうしないと危険極まりない。危機感をあおるお膳立てというのもしっかりできていて、この飛行機の着いた「デルタターミナル」は通路が暗くて狭い。これほど窮屈に感じる空港は初めてだ。あの、外国の香りというものがしっかりただよい、不安がつのってくるのだ。その細い通路のエスカレータを下っていくと、入国審査のカウンターがある。 「どこに並べばいいのか、あっちか、こっちか?」 とか思っているうちに、係官が誘導してくれた。 「佐藤ちゃんと同じカウンターだといいな?」 このあたりは島国根性まるだしというか、日本人の村意識というか。 それでも、ニューヨーカーのふりをすることだけは忘れていなかったので、 「Hello!」 などとそれなりの発音で言ってしまう。 これが大失敗で、 「××△△・・・・○○・・・・・・????」 との入国審査官の返答を誘導してしまった。何を言っているのかさっぱりわからないぞ。ちょっと分かるとすれば、(日本から来たのか?)という部分くらいで、 「そんなの、日本からの飛行機なんだから当たり前だろう。」 と思いつつ、 「そうなんです。私、よく英語もわかんないんです。」 などという顔をしていると(もう既に旅行のアマと化している)、 「Seightseeing?」 という助け船を出してくれたので、 「Yes!」 と答えてなんとか入国審査を越えることができた。 「ふ〜、いい人でよかった。」 税関は申告するものがなかったので、堂々と通過することにする。 「いや〜、ニューヨークに着きましたね。」 という期待感がにじみでてきた。 「ここからが危ないのだ。」 ガイドブックでしっかり学習済の二人は、CARRYバスでマンハッタンへ向かうことにする。空港のターミナルは朝が早く、まだ人気はない。しかし体のでかいアメリカ人は結構その辺にたむろしているのだ。思いっきり緊張してしまう。 「もし、声を掛けられてしまったらどうしたらいいんだ。」 などと思いつつ、バス停に向かう。デルタターミナルは地下一階が到着ロビーになっていて、バス停も暗い。CARRYと書いたバスがやってくるが、自信がなく、一度見逃してしまう。 「本当はあれでよかったんじゃないか。」 と思っても、体が動かなかったのだ。 他の日本人客もまだなんとなくそこにいるようだ。タクシーでさっそうとどこかに消えていく人もいれば、どうしていいのかわからず「うろうろ」する人もいる。迎えの人が来て、自家用車で去っていく人もいる。だんだん人が減っていき、このバス停で待っているのは私たちを含めて5〜6人くらいになってしまった。だんだん不安が募ってくる。 その時、バスはやってきた。 バスの窓は偏光ガラスになっているらしい。外からは中の様子が見えない。 「バスで何かあったらどうするんだろう。」 と妙な考えがよぎるが、車掌はいたって事務的で、「13ドル。」と言って、チケットを切っていく。 CARRYバスはその他のターミナルへ寄り道もする。その都度、いろいろな国からの旅行者が乗り込んで来て、勢い、バスは人種のるつぼと化すのである。ほら、ニューヨークが人種のるつぼと呼ばれているように。 「こりゃ、結構、やっぱり、力がいりますね。」 と密かに思う。 バスはハイウエーに入った。空港の中をかなり長いこと走っていき、そのうち、大きな幹線に出る。このあたりからめっきりアメリカの雰囲気となる。車社会アメリカのこのハイウエー網はすごい。何がどうなっているのかわからないようなインターチェンジとか、膨大な車線の数とか……。江戸時代の武士が初めてアメリカに行ったときの感動が伝わってこようというものだ。 しかし、車窓から見える街はくすんでおり、明るくはない。 「日本より地味。」 という第一印象だ。遠くに霞んで見える「マンハッタン」に思わず期待が膨らむ。遠くから見ても摩天楼はよくわかる。 「こりゃすごいわ……。」 と思い、その姿は後々まで印象に残った。 ベッドタウンを過ぎ、マンハッタンが目前に迫ってくる。やはり高く、でかい。もう「ニューヨーカー」になりきるどころではなく、まったくのおのぼりさん状態である。手がつけられない。バスはマンハッタンへのイーストリバーのトンネルに入った。このトンネルは有料のようだ。 ・・トンネルを抜けた。そこは別世界だ。万華鏡を見ているように、あるいは、水晶の結晶を眺めているように、摩天楼が空に向かって広がっているのである。この印象は一生でこの一回だけ得られるものだと思う。この高さにニューヨークのエネルギーが凝縮されているように感じる。「少しでも新しいものを目指す」というニューヨーカーの気持ちがここに象徴されているに違いない……。そう感じている間に、バスは「グランド・セントラル駅」に到着した。 バスを降りて、私はこの地に貴重な一歩をしるすこととなった。目の前にあるのがあのニューヨークだということが信じられないような、信じられるような。じっくり見たいのだけれど、じっくり見ることは「ニューヨーカー」にとっては許されないことなので、それができないこともまたじれったい。とりあえず、インフォメーションを目指す。これは簡単に見つけられて、グランド・セントラル駅の入り口に、インフォメーションスタンドがあった。渋谷あたりで、安い雑誌を拾ってきて売っているような店があるじゃないですか。そういう感じのスタンドである。いろいろガイドが置いてはあったが、一目ではよくわからない。有益な情報なのかどうかも分からない。とりあえず、使えそうで、無料のものを二つ三ついただくことにする。 長時間のフライトの疲れもあり、ニューヨークの危険に長時間自分の体を曝すのもよろしくないので、とにかくホテルに向かう。まあ、荷物も結構重かったし。 ホテルは「エンパイアーステイトビル」のすぐ近くだ。さすがにエンパイアーステイトビルには、地図がなくてもたどり着くことができる。これは非常にラッキーだった。「日本人観光客」のように地図をひろげてきょろきょろという必要はなかったのだから。少しは「ニューヨーカー」のふりができたのである。 午後一時くらいにホテルStanfordへ到着した。エンパイアーステイトビルから少し南の韓国人街にある。ハングル文字が充満しており、異国のなかの異国という感じがする。 「ほんとうにここは大丈夫なのか」 という不安がよぎる。街も紙屑が風に飛ばされて、なんとなく雑然としている。なぜか、焼肉屋にはかならず寿司があるのだった。寿司バーつきの焼肉屋なんて聞いた事がない。どうもここは不思議な空間のようだ。 ホテルは中級の中級といった感じだった。決して設備が悪いわけでもなく、じゅうぶん快適だった。部屋の扉を閉めると、もうここは自分たちの空間なのだ、とはじめて気持ちがやわらかくなってくるのを感じた。 玉木興陽は奇声を発した。 ホテルでつかの間の休息をとり、早速これからのニューヨーク滞在中の夜のチケットを購入に行く。音楽をやる人々にとっては、ニューヨークは宝の山だろう。ミュージカルの素晴らしさはつとに有名だし、オペラあり、音楽会多数、ジャズもある。ホールにしても、カーネギーホールという超有名どころもあれば、アーリーフィッシャーホールのように音響最低とのいわくつきホールまで数知れない。今回の滞在はほぼ一週間。とてもすべてを見つくせるわけはないが見られる限りは見なくてはならない。ガイドブックを読んでもチケットの購入の方法は今一つ飲み込めないが、とにかく出かけることにする。 ホテルから外に出ると、ブロードウエイまではほんの一○○メートルほどだった。ミュージカルで有名なあの「ブロードウエイ地区」は、この通り沿いのもっと北の地区である。この通りの「メーシーズ」というニューヨーク一売り場の広い百貨店に「チケットロン」というプレイガイドがあるらしい。ホテルからは目と鼻の先なので、とにかくここに行ってみることにする。 メーシーズに行き、受付で聞くと 「この先まっすぐ。」 とのこと。まっすぐ進むが、たばこは売っているがチケット売り場らしきものはない。そのままさらにまっすぐ進むと建物の外に出てしまった。 「これ以上探しても無駄。」 ということで、そのままブロードウエイを進み、劇場の窓口に行って買うことにする。まあ、窓口で買うのがマージンもなく安いらしい。 どこまで行ってもビルの柱が続く。タイムズスクエアを過ぎ、やっとブロードウエイの劇場街に入る。日本でよく見た「CATS」のあの看板が目につき劇場へ。「CATS」というミュージカルの筋はよく知らないのだが、日本では劇団四季がやっているやつだというくらいの知識はあった。 ちょうど午後の部が始まろうとしているところらしく、もぎりは混んでいる。左手にチケット売り場があるのだが、何がどういう席で値段としてはどのくらいが標準なのかといった、いわゆる「チケット売り場の基礎知識」はなかったが、65ドルは少し高いなという気がして、 「もじもじ」 しているだけでここは終わってしまった。 「ミス・サイゴン」をやっている劇場へ行く。その名もブロードウエイ・シアター。劇場街の北端にあった。値段はやはり65ドル。どこもここも同じ値段のようだ。65ドルが高いのかどうかはさっぱりわからないままだが、こんなことで時間ばかり使うのも無駄なので、買ってしまうことにする。 「せっかくだから、クリスマス・イブの今晩にしない?」 とすぐさま購入。当日の午後にもかかわらず、しかもクリスマス・イブであるにもかかわらずチケットがあった。なんと好運なんだろう。どうしてチケットがあったのか今でも不思議で仕方がない。 この後はカーネギーホールへ向かう。このホールは老朽化でたたむという話も一時あったが、五年ぐらい前にみごとに再生した。音響の良さはクラシックファンでない人にも有名だと思う。カーネギーホールは7番街に面しているので、とにかくブロードウエイから53丁目を7番街の方へ進む。7番街と53丁目の交差点にさしかかったとき、突然大声がした。 「××△△?????」 何かと思ってそちらを見ると、何と、私がニューヨークに来るきっかけを作ったあの玉木興陽がかけよってくるではないか。玉木は7番街を南に向かって歩き、私たちは53丁目を東に向かっていた。ちょうどこの交差点で会えるという確率はいかほどのものか。東京で人とばったりということはままあることだが、ニューヨークでしかも唯一の友人にばったり出くわすというのは 「まさに、奇遇。」 としか言えない。ちなみに、彼が何を言っていたのかさっぱりわからなかったのは、玉木がいきなり英語でしゃべりかけてきたためらしい。 日本にいたときも、結構ハイパーアクティブな人だとは思っていたが、さらにそれが磨きがかかっているようだ。 「またあとで電話するからね。」 ということになって、私たちはそのままカーネギーホールに向かった。このころにはすっかりニューヨークにいることに違和感を感じなくなっていた。 カーネギーホールは休館で、チケット窓口のみ開いていた。いろいろな演奏会があったが、それほど興味をそそられるものはなく、帰る前日の29日の弦楽合奏を取ることにする。 「座席はどこ?」 と聞かれたが、何が何だかよくわからないので、とりあえず14ドルの席にしてもらった。演奏会が二千円以下で聴けるというのは日本では考えられないことだ。このあたりがニューヨークのすごさだと感じる。 この後もチケット購入の旅は続く。 「次はリンカーンセンターだ!」 とブロードウェイをさらに北へ。その途中、またインフォメーションを見つける。こんどは屋台方式ではなく、きちっとした観光案内所だ。中には各種の割引切符などが無料で置いてありなかなか使える。じっくり見ていたかったが日が暮れそうなので、先を急ぐ。このあたりからだんだん物騒な雰囲気が隠し味として加わってくる。オフィス街の香りから生活の臭いに変わっていくのだ。 リンカーンセンターは複合芸術センターといった面もちで、メトロポリタン・オペラ・シアター(MET)やニューヨークフィルの演奏等が行われる例のアーリーフィッシャーホールなどがある。METの前にはこれからの演目がずらりと並べられており、どれも素晴らしい。 「蝶々夫人なんていいですねえ。」 などと言って見ていたが、日程の都合で28日のブリテン「ピーター・グライムス」を見ることにする。ニューヨークフィルについては日程がなく今回はあきらめることにする。一週間あってもニューヨークには短すぎるようだ。 こんなふうに、とにかく一日目は充実していた。あっと驚くことも多々あったが、チケット購入の旅をしたおかげで、有名なホール巡りはできたし、副産物としてジュリアード音楽院を見ることもできた。音楽院の入り口にはりっぱな警備員が立っていた。ところがこれがよくなかった。おかげで中に入れなかったではないか! チケット売り場巡りの後は、5番街に繰り出した。セントラルパークの南端をかすり、5番街を南へ。「ティファニー」にも入ったがやはり日本人が多い。これは「バーバリー」もしかり、「シャネル」もしかり。やっぱり金満大国日本だ。ただ、だれもが何か買いものをするわけではもちろんない。私たちは何も買わなかった。 5番街からロックフェラーセンターに行きクリスマスツリーを見る。5番街を歩いていてもそう思ったのだけれど、こちらのクリスマスは本当におごそかな雰囲気だ。色はけばけばしくないし、銀座の百貨店のように大きなサンタクロースが垂れ幕になっているということもない。「クリスマスセール」といっても、派手なビラがそこらじゅうにばらまかれているわけでもない。 「日本のクリスマスはクリスマスではなかったようだ!」 という、ある意味では当然なことが本当に明らかになった。日本でもキリスト教会などのクリスマスはこうしたクリスマスなのかも知れない。ただ、一般にはクリスマスはケーキを買うとかプレゼントの交換をするといった、いわゆる社交辞令の場であって、何といっても宗教的な意味合いはほとんどない。ニューヨークではこれが違うようだ。あくまでも、まず第一に宗教的な行事なのだ。もちろんいろいろな人種が集まっているのだから、宗教もキリスト教ばかりではないだろう。それでも、クリスマスのニューヨークには穏やかで清らかな空気が流れているのだ。5番街に飾り照明がぱあっと灯って、都会なのにとても静かだ。今年は景気がいいという。これがさらに良い影響を与えているのかも知れない。 これから一度ホテルに戻り、夜は昼間に買った「ミス・サイゴン」へ。おしゃれのしようもないのだが、それなりに整えて行くことにする。はじめてニューヨークの地下鉄にびくびくしながら乗ってみる。地下鉄は、危険・汚いというイメージがやはりありますね。トークン売り場のお兄さん?もなんとなく恐そうだし、駅自体、古くてホームは暗いし。ただ、それこそ「ニューヨーカー」を気取ればそんなに乗りにくいものでもないのかも知れない。路線図をしっかり頭に入れ乗りこなせば、こんなに便利なものもないだろう。まあ、すきがないようにしていれば問題はないのではと勝手に思っていた。勝手に自分で思いこむことも結構大事なのではないかという気もする。 「ミス・サイゴン」は言葉がわからなくても筋は結構わかった。歌・ダンスとも素晴らしい。終わってから、 「う〜ん、やっぱりすごい。」 とばかり言っていた。玉木が言った通り、やはりここは刺激的な都会だと思う。 自由の女神に恋いこがれて。 翌日は12月25日クリスマス。日本だったら繁華街は人・人・人といったところだろうが、ニューヨークでは静寂そのもの。5番街も時折バスやタクシーが通るだけだ。 初日は飛ばしすぎた。時差もあったし、二十四時間営業どころの騒ぎではなかった。とにかく緊張していたし、ボルテージもふり切れていた。この反動が二日目にやってきて、私はへろへろだ。しかし連れの佐藤は案外タフなので、あっちだこっちだとはしゃいでいる。結局、自由の女神に行くということになった。 「早朝・休日の地下鉄は危険です」 とのガイドブックのおふれに従い、バスを使うことにした。すると、日本のように車内放送なんかないので、乗り換えるべき停留所を通り過ぎてしまった。気がついてみると、数ブロック乗り越してしまった。 「乗るときに乗り継ぎ券を頼んだんだから、バスドライバーはこっちがあそこで降りなきゃいけないことを知ってるはずなんだよ。そのくらい教えてくれてもいいものを。ニューヨークのサービスは最低。」 などと二人でぶつぶつ言いながら、しかたなく歩いて戻った。 マンハッタン南端のバッテリーパークは、観光客が数名いる程度で非常に静かだ。リスがたくさんいて、空気も都会にしてはすがすがしいようだ。 「う〜ん、とても都会の真ん中とは思えない。」 ここから自由の女神のあるリバティー島にフェリーで渡るのだが、チケット売り場が見つからない。バッテリーパークのところどころに「フェリーのチケット売り場、こちら」と書かれた看板はあるのだけれど、観光客の列とか、人のにぎわいとか、それらしいものがまったくないのだ。 三十分ほどうろうろして、やっと見つけた。それは「キャッスルクリントン」という、窓がまったくないぶっそうな遺物的建物の中にあったのだ。しかし、そこへ行ってみると、 「12月25日はお休み。」 つまり、自由の女神はクリスマスでお休みだったのだ! あわてて読み直したガイドブックによれば、ウォール街も国連ビルもお休みということだ。しょうがないので、ひきつり笑いしつつワールドトレードセンターの百七階展望台へ向かう。相変わらず「ニューヨーカーのふりをする」ことができていない日本人観光客がここにはいやに多く、おれたちもこうなんだろうな、とお互いに何となく目をそむけつつ窓の外を見ると、ハドソン河の向こうのニュージャージー州がよく見える。 「なんでこんなにさびれているの?」 と言いたくなるほど、河の向こうには何もない。荒れ地の真ん中を通るハイウエーだけがやたら目立つ。ついてないことばかりの今日の疲れがどっと出てきた。体力の限界だ。とにかくホテルに戻ってしっかり仮眠する。三時間以上は眠っただろうか。時差ボケってのが二日目にして出てきたようだ。 夕方にはエンパイアーステイトビルへ。今日は高いところによく登る。こちらはクリスマスで人出がすごい。朝、このビルの前を通ったときはとても静かだったが、夕方には夕焼けを見ようという人々でいっぱいである。非常な混雑で、最上階へはずいぶんと時間がかかった。日本だと、並んだ人が全て見終わるまで時間延長といったサービスも考えられるが、こちらはそういうところははっきりしている。とにかく、二時間並んでも終了時間になったらとっとと閉めてしまうのだ。私たちはラッキーなことにあと一歩で間に合ったが、列の後ろの方ではファックユー的な怒りの声が渦巻いていた。 展望台は百二階だった。三つのエレベーターを乗り継いでたどり着いたその展望台からの夕焼けはそれは美しかった。すこしずつオレンジ色の電灯がともされていき、淡く夜を迎えていく。だんだん夕日が沈んで行くなか、電灯がどんどん明るくなっていく。この景観はニューヨーク随一ではないかと思う。 夕食はデリで購入。デリというのはニューヨークのコンビニエンスストアのようなものだろうか。焼きそばのようなスパゲティのような不思議な麺料理を筆頭に、なんとも形容しがたい食べ物を食する。中にはおいしいものもあったが、日本人にとっては大味なものが多い。いかにもジャンクフードという感じだが、これもお国柄であるから、気にせずに食べる。このなんとも言えない雰囲気がニューヨークにいることを再認識させてくれる。 日は改まり、26日は佐藤ちゃんが恋こがれている自由の女神に再度挑戦することにする。バスではひどい目にあったばかりなので、少しは乗り馴れてきたという感じがある地下鉄を利用してしまうことにする。クリスマス休暇が続いているのか、車内に人はやはり少ない。 八時半にはバッテリーパークへ到着。いや、早起きをしたものだ。昨日は人影もなかったキャッスルクリントンの前には、すでに七人くらいのグループが並んでいる。やはり自由の女神は観光地なのだ。 定刻にキャッスルクリントンの門が開いた。中はがら〜んとしていて、チケット売り場がぽつんと真ん中にあるだけだ。チケットを購入し、フェリー乗り場へ。あれよあれよという間に私たちの後ろに列は伸びていく。フェリーはまだ到着もしていないのに、既に二百人くらいは並んでいるだろうか。乗り場前にはいきなり大道芸人の歌手がやってきて、海からの風が非常に寒いなか、半袖で歌を歌いだす。とっても元気だけれど、待ってるこちらはやっぱり寒い。いつまで待たされるのだろうかと思っていると、 「は〜い、お金いれてね!」 とその歌手はやってくる。 「勝手に聴かせておいて何を言ってるんだ。」 と言いたいところだが、喧嘩するわけにもいかないので、何となく引き下がることにする。 これはダメだと思ったらしく、歌手は列の後ろの方にいってしまった。後ろに行って、やっぱり同じ歌を歌っている。どういう集団が後列にいるのかはわからないが、そちらでは異様な盛り上がりを見せていた。 九時になってフェリーがやってきた。普通の遊覧船である。一方に自由の女神が見え、一方には摩天楼が見えているという以外はニューヨークにいるということは実感されない。 リバティー島へはすぐ着いた。ここで私たちは大失敗に気づいた。先に乗ったからといって先に降りられるわけではないのである。よく新宿とかで、こちらがエレベータに先に乗ったのに、ビルの上の飲み屋には後から乗ったグループが先に入ってしまい、こちらは 「今日はいっぱいなんですよね。」 と言われてしまうという例のあれだ。 その通り、降りるのは後になってしまい、走って自由の女神に行ったもののその前には既に長蛇の列。ここから見る自由の女神は意外にでかい。その足下に蟻のように観光客の列ができているのだ。せっかく早起きしたのにここで帰るわけにもいかず、しかたなく並ぶことにする。いつになったら、女神様の頭の中に行かれるのだろうかとの疑念がないわけでもないが。佐藤は完璧に物見遊山状態になっており、もう女神様にうっとりだ。 自由の女神の内部は鎌倉の大仏さんの中と同じだ。自由の女神に関する展示室もあったりして、ちょっとした観光施設にもなっている。 とにかく非常に急ならせん階段をぐるぐると上がっていく。 「すべったら一巻の終わりだ。」 という恐怖を感じつつ、あるいは、 「上のやつが落ちてきたら、どうしよう。」 とという不安を感じつつ、一歩一歩進んで行くことになる。ところがこれが超渋滞なのだ。少し動いては止まりの連続。 「ぜんぜん進まないじゃないか、上のやつはまったく……。」 やっとのことで頭に到着すると、ここは五〜六人でいっぱいだ。ここではみんな写真を撮るから、登りは超渋滞となるわけね。私たちも当然、頭では恒例の記念撮影となる。このために下に渋滞が起きようが、もうそんなことはどうでもよくなる。人間というのは本当に自分勝手なものだ。写真としては、本当に記念撮影以上のものではなかったけどね。頭から見える範囲というのは非常に限られているから、景色はそれほどのものではない。 下りは急ならせんを下ることになる。台座から頭までは本当に「蜘蛛の糸」のようにDNAの二重らせんのような階段が続いている。一本は上り、一本は下りだ。上るのが恐怖なくらいだから、下りには階下に小さく人間がいるのが見えるといった感じ。とにかく足元だけを見て、 「すべるな、すべるな。」 と言いながら降りていく。台座の上に着いたときの安堵感は今でも忘れられない。見あげると、二重らせん階段の筋がはるか上まで延びていた。 アグレッシブなアートですね。 早起きをした上に、自由の女神で長時間並ばされて今日もへとへとになってしまった。こういう時はおいしいお昼御飯を食べるに限りますね。お昼の後は国連ビルに再挑戦することになっていたので、その前に何かを食べることにする。マンハッタンの南から国連ビルに行く途中にはチャイナタウンがある。ここで何かうまい「中国料理・イン・ニューヨーク」を探すことにしようと、地下鉄駅に向かう。 ウォール街から地下鉄に乗る。ゆっくりと走り出し、電車はどんどん加速する。 「あ〜れ〜」 と言っているうちに次の駅を通過してしまった。 「これは急行だったのか?」 そう、急行だったのだ。どんどん電車は駅を通過していく。初めて急行に乗ったが、こんなに速いものだとは知らなかった。これは東京の地下鉄でもぜひ実行してほしいサービスだな、などと考えていると、柱の向こうに 「CANEL St」 の文字が……。チャイナタウンも通過してしまったのだ。それでもこの急行は一向に止まる気配もない。いくつの駅を通過しただろう。やっとのことで電車は停車した。それにしても急行は恐ろしかった。どこに運ばれていくかわかったものではない。気がついたらハーレムなんていうことになるとどうしようもないではないか。この急行の場合はマンハッタンの中央に着いたので、幸い、ハーレムの恐怖は味あわなくてすんだが、中国料理ははるか後ろだ。チャイナタウンはあきらめることにし、国連ビルに向かう。 その途中、ピザハウス、デリ、カフェといったものは星のようにあるけれど、それなりのレストランというと意外に見つからない。いいかなと思っても、ぼられる店では困るし、などと言っているとなかなか決まらない。そうこうしているうちに国連ビルについてしまった。しかし、そこに見える国連ビルはどうもガイドブックの写真と面もちが違うぞ。 「あ、万国旗がないんだ!」 ということは、今日もクリスマス休暇なのか。 この失敗を挽回しようと、グッゲンハイム美術館に向かう。86丁目で地下鉄を下車。よく考えてみると私たち、まだ昼食をとっていないのです。もう二時は過ぎていたのではないだろうか。ガイドブックに出ていたドイツ料理の店へと突入する。 ちょっと余談でニューヨークの食事情を考えてみる。もっともこの土地らしい料理というのは、結局ハンバーガーとかそういったジャンクフードになるのかも知れない。一流のレストランで食べられるフレンチもイタリアンもそれからこのドイツ料理も、考えて見ればヨーロッパの料理だ。前の日にデリで買ったような食べものがもっともニューヨークらしい料理だったのかも知れない。あとはステーキということになるだろう。ケーキも非常に甘くて量があり、日本で「洋菓子」として売っているものの方がよっぽど洗練されている。とにかく、量が少ないのはサービスにならない、というのがこちら流のようだ。ダイナミックさが売りということか。 86丁目のドイツ料理店のおばさん店員は、どうも日本人観光客を馬鹿にしているようであった。「料理をばたばたと運んできては、何も言わずに置いていく」し、「ビールを頼んでも二度三度と頼まないことには出てこない」し、「後から来た客に先にメインを出す」し、もうこりゃ二人とも腹わた煮えくりかえりまくり状態だよ。でも、こっちには文句を言えるほどの英語力もないので、ただただ 「ムッ!」 とすることにする。その様子が伝わったのか、最後にはついに 「デザートはいかが?」 と尋ねてくれるまでになった。 尋ねてくれたのはよかったが、それまでの料理を全然残さず食べてしまったので、デザートを入れるスペースなんて残っていない、と断わってしまった。コースに値段は入っていたのだから、そういう時はドギーに入れてもらって持ち帰ればよかったのだった。ガイドブックによるとここのデザートは有名だったらしい。う〜ん、あれは惜しかったなあ。 グッゲンハイム美術館は現代美術の宝庫としてだけではなく、フランク・ロイド・ライトが設計したカタツムリ状の建築でも非常に有名な場所だ。私もその建築に興味があり、ニューヨークではどうしても訪れたい場所の一つだった。 古いアパート群の真ん中に、未来的な渦巻きが 「ぶちゅっ」 と現われる。まず、入り口で入場料を払う。かばんを預けてエレベーターで最上階へ行く。あとはその渦巻きをぐるぐると下りながら、その壁面に立ち並ぶ現代美術をじろじろ見て歩くといった具合だ。 入り口のところにはニューヨークらしく、アーティストっぽい人たちが十人くらいぼーっとしていた。見ている人は美大生風の人が多く、それぞれお気に入りの作品をじーっと見つめている。非常に紳士的で、真剣に鑑賞をしているようだというのはよくわかる。 私たちも、一応アーティストを自称しているので、それ風に一つずつ眺めていく。確かに時々、「ほー」というのがあるのだ。非常に刺激的なものとか、インスピレーションの湧くものがあったりする。ニューヨークに来ると、「何でも新しくなければ駄目だ!」という雰囲気がぴりぴりと伝わってくるのだ。 ミュージアムショップの充実も素晴らしい。ミュージアムショップで売られているものも非常におもしろいものが多い。少し値段が高めなので結局何も買わなかったけれど。 はじめて、ニューヨークの芸術を肌で感じて、 「世の中にはこういう場所もあるんだ。」 と少しほっとした気分になった。 この後は玉木との待ち合わせも兼ねて、近代美術館(MOMA)に向かう。またしても地下鉄。地下鉄の「3K」、すなわち、危険・汚い・急行に乗ると大変だ、とのイメージはこのころになると少しずつ薄らいできていたようだ。MOMAの目の前の53丁目で下車。 「ここがあのMOMAか。」 とおのずから期待は膨らむ。「何を見せてくれるのか」という潜在能力みたいなものへの期待が非常に高かった。 内容は十分その期待に答えてくれるものだった。行くのが遅くなって、たった30分しか時間がなかったのが残念だったが、中にあるものは「一級品」というだけでなく、「エネルギー」を十分にたたえていた。その一つ一つから作品のエネルギーが乗り移ってくるようだ。攻撃的なものもあれば、静かに自分の中に入ってくるものもある。これがどの作品からも得られるのだから、そのすごさは計り知れない。30分で見たからよかったので、2〜3時間も見ていたら脳味噌が 「ぱ〜ん」 と音を立てて弾けてしまっていたかも知れない。 二階のベンチでは玉木がへなっとして待っていた。玉木はブルックリンに住んでいるのだが、 「マンハッタンに来るとどうも疲れる。」 という話で、何だかだらだらとした再会となってしまった。 玉木と一緒にMOMAを出た、というか追い出された。エンパイアーステイトビルのところでも感じたが、閉館時間になると有無を言わせず追い出してしまうというのがこちらの流儀のようだ。こっちが怒って何を言おうと、係官は 「NO!」 という言葉しか知らないのである。これには素直に従わざるを得なかった。 イーストサイドのインド人街で、玉木おすすめのインド料理を食べた。ここは飲物持ち込みの店で、途中でハイネッケンの黒ビールを買っていった。これは非常にコクがあっておいしかったが、日本では売っていないらしく残念なことだ。 グリニッジビレッジまで歩く。このあたりでは、ずいぶん安く靴や洋服を売っている。ここの住人の玉木によると、 「5番街ではなくて、こっちの方で買うのが賢い。」 のだそうだ。はじめて夜に街をしっかり歩いた。今までは危険ということが頭にあったので、地下鉄で2〜3駅乗る程度で、街を歩いたことがなかった。 まず、人が意外に多いというのに驚いた。歩道には結構人通りがあるのだ。両側には中層のビルが立ち並んでいる。地下室があるビルも多いようで、地下からも少しばかり光が漏れてくる。街灯はオレンジ色で薄暗い。その中を人が歩いていく。これがニューヨークの夜なんだと実感した。緊張感とぼんやりとした心地よさとが同居している。そしてそのぼんやりの部分がニューヨーカーの息抜きなのかも知れない。 そして、ジャズを聴きにビレッジ・ヴァンガードへ。地下への小さな階段を下っていく。チャージは20ドル。有名どころにしては安い。この日はおかかえ(?)のジャズバンドが出演する日であり、時間になるとぼつぼつとメンバーが集まってくる。トランペット、クラリネット、ピアノ、トロンボーン、ベースと並んでいく。 「これが、本場のジャズバンドね。」 思わず、目の前のビールに手が延びる。 そして演奏がはじまった。曲名はよくわからないが、ばんばかばんばかと演奏は続く。だが一名の席は残したまま。二曲ほど演奏が終わって、やっと最後の一人がやってきた。もしかするとバンマスかもというサックス奏者だ。照れくさそうにしつつ「へらへら」と演奏をはじめた。演奏はまずまず。バンドのまん前で聴いていたので、最後の方にはうるさくさえなってきた。たまにピアノのソロがあったりすると、聴き耳をたてる。自称ピアニストの私の目の中には、指の動きがスローモーションのようにひとこまひとこま焼き付けられていく。体の動きやリズムの取り方には目を見張るものがある。汗びっしょりになりながら演奏をするピアニストは一所懸命であると同時に、非常に楽しそうだ。演奏は最高というものではなかったかも知れないが、この楽しそうな姿は非常に印象に残った。 長距離列車はアバウトなのだ。 今日27日からはワシントンDCへ行く。初めてアムトラックに乗るというのも楽しみだ。 ニューヨークの長距離列車の始発駅は地下にある。ペンシルバニア駅もグランドセントラル駅も地下だ。ワシントンDCへのアムトラックはペンシルバニア駅から出発する。この駅、上はあのマジソンスクエアガーデンになっている。 ホームは地下二階なので、地下一階の入り口のところから電車が見えるというものでもなく、日本とは雰囲気がちがう。待合室があり、ちょっとした売店があり、すしバーまであったりする。長距離列車がほとんどだからかも知れないけれど、切符売り場も全て応対の窓口で、自動販売機はない。列車の時刻表といったものもなく、これから発車する列車がモニターに表示されているだけである。 一番驚いたのは、発車時刻はさすがに決まっているのだが、発車番線はぜんぜん決まっていないということ。案内には 「10〜15分前になったらホーム番号が出るから、それまでここで待っていなさいよ。」 と表示されている。話によると5分、10分遅れなんてざらとのこと。表示が出たらそのホームの入り口に走るのだそうだ。ホームはこのコンコースの真下に隠れている。隠れているというのはあながち間違った表現ではない。本当に人が一人乗れる幅しかないエスカレータがこのコンコースから下に向かってのびているだけなのだ。ここのホームにこのエスカレータがあり、その入り口で改札が行われる。だから、ホームの表示が出たら自由席の場合にはその前に走るしかないのである。日本だと特にJRの場合には列車名・号車・指定自由の別などがホームに細かく表示されていたりするのだが、そういったことは全くない。とにかく10分前にならなければ何もわからないという状態になっている。 私たちが乗るアムトラックにしても、「5分遅れ」と出たら、「ただいま準備中」となり、また「5分遅れ」となりを繰り返し、10分遅れでやっとホームが決まった。とにかく 「ワーワー」 言って改札(の人のいるところ)にみんなで走る。 細いエスカレータを下るとそこはホームになっている。巨大な鉄骨がむきだしになっており、未来都市の廃墟といった雰囲気を漂わせている。おまけに、ホームが非常に暗いので、その殺風景な状況がより強調されてくるのだ。そこには長い銀色のアムトラックの車両が停まっている。自由席であったので、とにかく適当な座席に着く。 10分遅れで列車は出発した。この巨大地下空間の奥には何があるのか。私のような鉄道ファンならずとも興味が湧くところだろう。ゆっくり列車は進む。この巨大空間が、非常に雑然としているのがかすかに見える。暗い鉄骨列柱のさきには、レールのようなものが積んであったり、バラストの山があったりする。保守用の車両もあるようだ。ものの30秒くらいでいったん堀割り状のところに出る。ここで、この駅の全容というものが初めてわかる。束の間の日の光をあびると、今度はハドソン河の下をくぐるトンネルに入る。これは長い。延々と続いている。やっと外に出ると、そこは既にニューヨークではなく、ニュージャージーのど田舎であった。遠くにハイウエーの橋脚が見えるという以外は、湿地のような荒野が続く。ときたま工場のようなものが見える以外は何もない。マンハッタンの中心から5分も経過していないのにこの光景とは。帰国後に東京とニューヨークの都心からの距離の比較という新聞記事を読んだ。東京はのんべんだらりと郊外まで街が広がっている。ニューヨークの中心は摩天楼が立ち並ぶ非常に密集した地域だが、少し離れるといきなり何もなくなってしまう。この非常な中心への集中度がニューヨークのあのエネルギーを作っているし、また、そのエネルギーがあるから、あの摩天楼が維持できるのではないかと思う。 そしてワシントンDCでの二日が過ぎ・・、ニューヨークに帰ってきた。ニューアークの駅を過ぎると遠くにマンハッタンの明かりが見えてくる。 「帰ってきたんだ。」 と妙になつかしさを感じる。私にはワシントンDCよりもニューヨークが肌に合ってしまったようだ。その明かりが少しずつ近づいてきて、列車はトンネルに入る。トンネルを通過すると、そこはもうマンハッタンの中心だ。このカタストロフィックなおもしろさというのはニューヨークならではのものではないだろうか。まあ、それに近いものがあるとすれば、日本では仙台があると思う。東北自動車道のICは青葉山の西の田園地帯にある。そこから仙台西道路の青葉山直下のトンネルをくぐると、そこはいきなり仙台市街となる。この唐突さもなかなか優れ物だが、このニューヨークの比ではない。 今晩はメトロポリタン・オペラ・シアター(MET)に行くことになっていたのだった。開演まで一時間しかないので、ペンシルバニア駅(地元の人はペンステーションと言う)からホテルに直行し、着の身着のままMETに向かう。地下鉄に急ぐ。ニューヨークの地下鉄路線もしっかり頭に入ってきているので、とにかく急行で急ぐ。急いだのはよかったが、またしてもMETの最寄り駅には急行は停車せず、一駅通過。一駅分、距離は短いが路上を走ることになる。リンカーンセンターはどこかと迷いつつ、なんとか到着。いきなり裏口の小さな階段から入る。チケットボックスへ急ぐ。もう開演まで五分くらいしかない。とにかく20ドルの席を買う。チケット切りの人も 「上、上!」 といったジェスチャーをしている。20ドルは安い席なので、とにかく階段を登らなくてはならないのだ。やっと到着。 英語だったのでどういうお芝居だったのかは結局わからなかった。ときたま入る間奏曲がせめてものオアシスとなる。なんとか寝ないようにと私は足をばたばたしたりしていたが、隣の佐藤ちゃんはしっかり就寝なさっていた。内容はわからなかったが、歌のレベルは確かに高く、急いだ甲斐がありましたね。 夜中の11時くらいに韓国人街へ地下鉄で帰る。遅い夕食を焼き肉レストランでとることにする。ピビンバを食べたが、大味で量が多いということはどこでも同じ。日本のものの方がどうも洗練されているのは、日本人に合わせているからなのか。韓国料理屋なのにすしはあるし、うどん(U−don)まである。ビールも日本のものがあったりして、民族がカオスしていることがこんなところにまで現れるものなのかと感心してしまった。 ニューヨーク最後の戦い。 明日は帰国の日。午前の便なので、実質的には今日、29日が最終日だ。とにかくやり残したことは全部やってしまわないといけない。佐藤は国連ビル再挑戦という一大イベントを残している。私はメトロポリタン美術館とマジソン街のウインドーショッピング、それにMOMAでのカタログ購入が残っていた。午後8時からはカーネギーホールでの演奏会が待っているし、一日はあるが実質は半日だ、と嘆く。 グランドセントラル駅のカフェで朝食。ベーコン+エッグ+オレンジジュースという毎度お馴染みの朝食となる。私は結構これが好みで、毎日のように同じような朝食だったが、最後まで飽きることはなかった。ここのセットも結構いけた。ここからメトロポリタン美術館へ。佐藤とここまでは同行するが、彼は一時間見るだけで別れ、国連ビルに三度目の挑戦をすると言う。彼がそこまで国連ビルにこだわった理由は、国連ビル内のお土産屋さんに用事があったからとのことだ。 メトロポリタン美術館はやたらと広い。とにかくそこらの美術館やら博物館が10くらい集まった集合体とのこと。とても一日で見れるものではない。それを一日で見るのだから尋常な見学では追いつかないのだ。おまけに、ここで土産も買わなければならないし。 日本人は土産を買うために海外旅行に来ているのではないかとさえ思うことがある。私とて、こんなものに時間を使いたくはないのだが、社交辞令も大切だし、しかたなく買い物の時間も頭に入れて行動することにする。そこらじゅうで特別展示もやっているし、つぶさに見ていたら目が回る。 まずは行動パターンを決めよう。どうしても見たいものにチェック。ストラリバリウス、日本館、近代絵画のセクション、それから現代芸術、それにエジプト……、結局全部ではないか。時間がないのは仕方がないので、じっくり見てもよくわからないもの、例えばエジプトの発掘品の細かいものなどは次回に残すことにして、見たような気になることにする。このあたりもエジプト学の学者さんなどには非常な興味をそそるはずのものなのだとは思うが、じっくり見ていられないのだ。ルートは考えたはずなのに、なかなかそこに行くことができない。 「この裏が日本館のはずですけど」 と思っても、そこには壁があり、ぐるぐる回っても日本館に行けない。 「これでは立体迷路ではないか?」 と憤慨してみてもはじまらない。日本館に行くために、全然関係のない展示室を通ったり、変な扉をあけてみたりと、そこらの遊園地よりよっぽど複雑になっている。 こんなことを繰り返しながら、とにかくメトロポリタン美術館を見おわった。 この後はメトロポリタン美術館でのお土産購入時間。迷ったり、選んだりと、ニューヨーク旅行で一番頭を使ってしまった。 とにかく時間がない。メトロポリタン美術館を出たのが午後三時。五時半には佐藤とMOMAのミュージアムショップで待ち合わせだ。あと二時間半しか時間がない。ピコピコなりはじめたウルトラマンの心境というのはこういうのだろうか。 ガイドブックとにらめっこしつつ、やりのこしたことを全部やるにはどうしたらいいのか、一生懸命考える。まずはこの沢山のお土産をなんとかしなくてはいけない。メトロポリタン美術館のマスコット「ウイリアム(ペルシャンブルーのカバのおきもの)」を2体も買ってしまったので、重いしかさばるのである。それから、ニューヨークに来たからには、というかアメリカに来たのだから、あの甘いケーキを食べておく必要はある。私は自称音楽家であるばかりか、自称ケーキ評論家でもあるのだ。それから、ポロやらティンバーランドやら、もろもろのブティックが立ち並ぶ、マンハッタン一の高級住宅街、「アッパーイーストサイド」も歩いてみたいし。 「う〜ん、やることが多すぎる。」 まずは、ホテルに戻ることにする。初めて一人で地下鉄に乗ってしまった。緊張感もあったけど、一人で乗れたということにちょっと充実感みたいなものも感じた。33丁目で下車。ホテルへの途中でチョコレートケーキとミネラルウォーターを購入する。水にしたのは、もしケーキが甘かった場合に甘ったるいジュースだったら耐えられないだろうと考えたからだ。 デスクライトをパチンとつけて、プラスチックケースの中にちんまりとおさまっているケーキを食べる。一口食べて水をごくごくと飲む。 「甘いというよりは、非常にぱさぱさしている。」 おいしいともおいしくないとも言いようがない味だ。とにかく目的の一つは果たせた。 三十分のくつろぎの後、「アッパーイーストサイド」に向かう。また地下鉄に乗って、77丁目で降りる。 手始めにホイットニー美術館のミュージアムショップ。そのあとは、ティンバーランドとかポロとか、もろもろのショップを覗き見していく。丁度クリスマスセールと重なったこともあり、人出も多い。こちらでも人気のあるショップは非常に混雑していた。5番街までは非常に距離がある。よくこの早さでウインドーショッピングをしたものだと感心するくらいのスピードである。 待ち合わせには遅刻せずにすんだ。ところが佐藤の第一声は、 「まだ、お土産買い終わってない!」 とのこと、期待した国連ビルもお土産屋は閉まっていたそうだ。 というわけで、これから一時間くらいはとにかく佐藤のお土産買いにつきあわざるを得ないのだ。 5番街に行ったり、グランドセントラル駅の方面に歩いたりと、ミッドタウンを足の痛くなるほどあちこち歩き回った。ニューヨークの商店は閉店が早く、 「はい、閉店、閉店!」 と追い出されて、結局、買い終われなかったのだ。 そして、カーネギーホールへ。弦楽合奏だったけれど、音響の良さは実感できた。良いというか、残響が非常にやわらかい。弦の音が非常に伸びやかに伝わってくる。こんなホールで演奏できたら素晴らしいだろうと思う。 最後の夕食はみそラーメンになった。ブロードウエイに「さっぽろ」というラーメン屋があるのだ。 店員「いらっしゃい。How many?」 私「Two!」 店員「お二人様ですね!」 日本語か英語のどっちかに統一しろよなあと私は内心で思った。これもニューヨークならではのことかも知れない。この店、日本酒もあり、ビールも日本のものだった。銘柄はやっぱりサッポロだったかも知れない。ラーメンはまあ、日本のラーメンであり、なつかしい味だった。若干機械的な味がするのはニューヨークという土地柄の影響だろうか。店員は全部日本人。留学生のアルバイトといった感じの店員もいる。厨房の会話も日本語であり、メニューにも「野菜炒め定食」などというものがあったりして、ここでこうして最後の夜は更けていくのだとしみじみ思う。 翌日、30日は非常に寒かった。帰り支度をしつつ、この巨大な荷物にへたりこむ。 「あー、ここまでものが増えるとは。」 チェックアウトしようとすると、 「今日は空港へ行くのですか。」 とフロントの東洋系の人が日本語でしゃべりかけてきた。 「タクシーですか。」 「いや、バスです。」 「バスよりタクシーの方が安くて、速いです。だいたい30ドルですね。」 ドア・ツー・ドアのタクシーの方がそれは楽に決まっているので、 「じゃ、タクシーを呼んで。」 と言ってしまった。 その時、いきなり、入り口から一人のおっさんが入ってきた。そして、 「私が連れていくから。」 と言い出したのだ。 ここで私たちは変だなとは思ったが、ホテルの従業員は、 「本当に30ドルで行くのか。」 とかそこそこの会話をして、私たちに彼について行くようにと言った。 外に出て、これは白タクだと気づいた私たちは、 「これはイエローキャブではないぞ。」 と憤慨をした。運転手は 「これはコリアンタクシーで、イエローキャブのほうが危険ですよ。」 とかなんとか反論をした。こちらとしては、勝手に彼がロビーに入り込んできただけでまだ契約も何もしていないわけなので、 「それなら結構。」 と言い放って歩きだした。 「要するにありゃホテルとぐるになってたわけね。」 と、佐藤と私はあらためてニューヨークの恐ろしさを知ることになった。 寒空の中を、ポート・オーソリティ・バスターミナルへと急ぐ。結構な距離があった。荷物は重いし、これなら地下鉄にでもしておけばよかったとも思ったが、タクシーは既に懲りているし、地下鉄も時間の知識がまったくなく不安であったので、CARRYバスを再度使う。なんとかフライトには間に合うようだ。 バスは定刻に出発。ハイウエーの混雑も少なく快調に走る。走った経路は同じはずだけれど、ニューヨークに来たときとは感慨が違う。遠くにマンハッタンの摩天楼が去っていく。 「こんなところを走ってマンハッタンへ行ったんだ。」 と、いかに来たときに緊張していて何も目に入っていなかったかを認識した。帰り道は早い。これは旅の常道であろう。JFK空港に到着。到着ロビーと異なり、出国ロビーは明るい。小銭の整理のために、朝食を食べて、お土産を買う。 12時間後には大みそかの日本だった。 MAILBOX ◆壇美千代・熊本市・25才看護婦◆ 私も山が大好きです。春は緑も花もきれいでいい季節ですね。kisaki treckersを読んでいると、気持ちの良い様子、ワクワク感が伝わってきて、読み終った後、さわやかな気分になれます。「ほんの少しだけきみを幸せにしてあげる」雑誌でもあると思います。好きなことをするというのは、本当にいいですね。ところで、今回の私の感想は「名犬ペロちゃんに会いたい」でした。私が勝手に想像するに……。「旅館にやってきて八年。お客様を案内するようになって早五年。今では、うちへやってくる可能性があるお客様かどうかをするどく見抜く力もそなえた名犬。」とでもいうところでしょうか……。 ◆水谷宏則・小平市・26才会社員◆ ◆杉山拓也・大宮市・26才医師◆ ◆織田理英・江戸川区・前回60才料理研究家ともかけばよかった◆ ◆匿名希望・神戸市・26才会社員◆ |