kisaki treckers May '96 平成8年5月10日発行
気分はそよ風まかせ。

山のお風呂特集・もくじ
◆田中庸介・なりゆきの山
◆澤尚幸劇場・北アルプスゼリービーンズ事件
◆対話・グラナドスの真実
◆MAILBOX
なりゆきの山 塩原自然研究路・1996年5月 田中庸介
 五月の連休、澤と私は塩原温泉に行ってきた。空気がきれいで、新緑がきれいで、温泉が豊かであり、言うことのないレジャーであった。
 最初は、「箱根」に行く予定であった。つまり、コンセプトとしては、豊富な温泉と観光、というのがあったわけである。大地のパワーを凝縮したような温泉。いいものではないか。
 私たちは、一軒くらいなら宿屋がとれるのではないか、とたかをくくっていたところが、いざ「箱根」のガイドブックをもとにして電話をかけ始めるとさすが連休、どこも満員。数十軒の宿屋がどこもあいてない。これは連休をなめていたのではないか、ということで方針を変更し、空いている温泉ならどこでもよろしいから泊めてくれ、とばかりに「いで湯の山旅ベストコース」という本をもとに、片っ端から電話を掛けまくったのである。
「今晩、お部屋ございませんか。」
 これも、かなりきついものがあった。丹沢もだめ、中央沿線もだめ。あきらめかけていたときに、
「ちょうど、キャンセルがあったところですよ。」
という旅館があった。私はびっくりして、
「それはすばらしい。ところで、そちらは日本のどこにあるのですか。」 今度は旅館のおかみがびっくりする番だった。

 旅館のおかみの説明によると、この宿は「上塩原温泉」というところにあり、東北新幹線の「那須塩原」駅で降りて、「塩原温泉」行のJRバスに乗り換え、さらに終点で「上三依塩原駅」行のバスで「別当坂、まじま荘前」で降りればよいという。
「まじま荘前と言いますから。きっとわかりますよ。」
 なかなか秘境という感じである。今日中に行き着けるのだろうか。
 JRバスに電話を掛けたり、時刻表を見たりしてみると、かっきり一時間後に東京駅を出る新幹線に乗らなければ、「上三依塩原駅」行の最終バスに間に合わないということがわかった。
「行きます行きます」
と旅館に電話をし、取るものも取りあえず、とにかく出かけることにした。

 東京駅では中央線からの乗り換え時間は十分しかなかったが、問題の新幹線にはぎりぎりで間にあった。車内販売の「とり飯」弁当を食べていると、大宮から澤が乗ってきた。
「いや〜、こんにちは。ところでお昼、まだなんですよね。」
と彼は言った。だが車内はけっこう混んでおり、小山で彼はやっと座れたと思う。那須塩原までは一時間くらいしかかからなかった。

 那須塩原の駅は、田園のなかにどどんとできた新幹線の駅という感じで、あたりにはほとんど何も店がなく、ガイドブックを買おうというような甘い考えはあっけなく消えた。駅で使い捨てカメラと釜飯を一個ずつ買って、「塩原温泉」行の急行バスに乗り込んだ。
 バスの沿線にはやたらとたくさん池のようなものがあったが、よく考えてみるとこれは田植え前の田んぼなのであった。前方に山が見える。 「塩原温泉はあの山のなかなんですよ。」
 バスは山道に突入し、ぎらぎらの新緑の中の「塩原バレーライン」を突っ走る。そのうち、渓谷が開けてきて、たくさん宿屋がある場所に出た。これが塩原温泉というところらしい。
 バスターミナルでは三十分の待ち時間があったので、また地図を買おうとむなしい努力をするが、およそ本屋というようなものがありそうな町ではない。しかたないので、そこにあった観光案内パンフレットで我慢して、そのあたりのそば屋で「もりそば」を食べた。もりそばは八百円で、「たぬきそば」の六百円より高いだけあって、分量がやたら多い。そばはこんにゃくの粉でも入っているのではないかと思われるほどなんだかつるつる感が高く、非常にユニークであった。食べていると涼しくなってくる味である。

 まじま荘には三時半についてしまった。最初の電話をかけてからまだ三時間くらいしかたっていない。事態の急展開に、こちらの二人も、おかみも非常に驚く。
「早いですねえ。」
 まじま荘は「温泉指圧治療センター」と看板に書いてあった。アパートのような建物の隣に、よく田園地帯にあるような、あの農業用の温室が二つ並べて建ててある。どう見ても農機具庫としか思えない建物もある。「農場かな」という感じはするけれど、どう考えても「温泉旅館」というようなイメージからはほど遠い。通された客室はそのアパートの二階に当たるところで、何ということのない四畳半の部屋である。
「はずした。」
というのがまず第一印象であったことは否定できない。その考えはだんだんと改められていくことになるのだが、「箱根」のばりばりの日本旅館を当初予定していたわれわれにとって、この落差は大きすぎた。

 それにしても、あまりにも時間が早すぎるので、そのあたりをお散歩しようかということになった。あたりはいかにも田舎という感じで、畑や田んぼのなかを走る国道400号線に沿って、「民間車検場」というよくわからない工場のようなものがあったりもする。あたりの山は雑木林で、そろそろ芽吹きという感じのやわらかい色合いが覆っている。
「裏山にでも登ってみようか。」
と、よくわからない川のよくわからない橋を渡り、よくわからない人家のわきの山道を登っていくと、片栗の花が咲いていた。
 さらにどんどんと山の中に入って行くような道を登っていくと、突如として目の前が開けてどこかの家の畑に出てしまった。道もどんどんと立派になっていき、しまいには一応舗装された林道に出た。
 この林道を行くと、別荘地と思われる区域に入って行った。いかにもバブルがはじけた後らしく、区画表の立て札も朽ち果てて、そこにはつる性の野草がからみついている。別荘はところどころにぽつりぽつりとしか建っておらず、それぞれの地主のお名前をペンキで書いた木の札がそれぞれの区画の雑木林に立ててあるだけだ。かなり以前、温泉つき別荘地として分譲され、そのまま放置されたもののようだ。
 私たちはその別荘地の坂を登っていった。誰もいない、まっすぐな並木道の新緑がまぶしい。五月の風が心地よい。このひと山、丸ごと別荘地として開発されているらしく、坂は見晴らしのよい尾根線の林道に至るまで続いた。
 林道からはむこうに雪をいただいた大きな山が見えた。そのこちらに、三角おむすびを伏せたような小さな丘が一つ二つ見える。あたり一面は植林ではなく、春まだ浅い自然林の新緑にやわらかく覆われていた。
 この舗装された林道を下っていくと、頃合よく後ろから空車のタクシーが。旅館まで送ってもらう。

 食事の前にお風呂に入った。すごいお風呂であった。
 私たちはここに至り、例の「温室」がお風呂であったということに気がつくのであった。どういうことかと言うと、温室のなかは一面プールになっているのである。つまり、青色コンクリート製のあのなつかしい小学校のプールが温室のほぼすべてを占めており、湯煙に霞むあちらの端には何やら石組みのようなものがあり、そこからパイプで注がれる温泉は、波一つないこのプールを滔々として流れ、四角形のこちらの一辺から流れ落ちて洗い場を潤している。大胆な構想である。私はこの湛々とした温泉の海の一角に漬かり、入ったり出たりしてこの清洌な温泉を静かに楽しんだ。このあたりから私たちは、「まじま荘」のあなどれない実力に気がつきはじめた。
 さらに、食事も予想以上に豪華であった。牛の鍋ものを初めとして、うなぎ、刺身、さざえ、えびなどの料理にビールが進んだ。特筆すべきはおかみが食堂の真ん中にすわって前後左右のお客と極めてテンション高くお話をし続けてくれることであった。
「森林浴と温泉浴、これですよ、これ。特に都会からきたお客さんにはこの二つが必要ですねえ。」
などと、いきなりばんばんばんばんと話は最高潮のぎんぎらぎんに盛り上がってしまい、しゃべり倒されて澤の目は点になっていくのであった。
 彼は下をむいて、小さな声で
「きてますねえ。」
と言った。

 さて翌日はまたお天気で、私たちはおかみのお勧めの「塩原自然研究路」を歩くことになったのであった。例のいささか頼りない観光案内パンフレットによると所要時間は六時間ということなので、途中の大沼園地から歩くことにする。タクシーで大沼へ。
 深い山の中の沼、というパンフレットの印象を裏切って、細い林道を辿っていったそこはいきなり明るい公園なのであった。お散歩の家族連れも多く、これではまるっきり東京の公園と変わりはない。拍子抜けして、下のほうに歩いていく予定を変更し、「富士山」という山を越え「新湯」(あらゆ)という温泉に抜けることを決断。
 説明板によると、「富士山」は「高原山」という火山の脇にできた寄生火山だという。つまり、これが前日に眺めた手前のおむすび三角山の一つなのだ。木に覆われてはいるが、たしかに丸めの溶岩が多い。沼から山頂への道は細く、急な斜面をジグザグに上がっていく。
「これは思いのほか、しっかりした登山ですね。」
などと言いながら、一時間ほどで樹林の中の山頂に着く。結構、汗をかいてしまった。
 空気がきれいで実においしい。東京の汚れた空気も、日光あたりでシャットアウトされてここまでは流れてこないのだろう。
 林の中を下っていくと、だんだんと火山のにおいが強くなってきて、しまいに斜面が大崩壊してガスが噴出しているところに出た。と、道に茶色の蛇がいた。
「あっ、へび」
と言っていると、大きな蛇は道のわきの草むらに消えた。
「まむしではなかったと思いますね。」
この人、一見するとぼーっと歩いているようだが、なかなかに鋭くものを観察しているのだ。
 斜面の下には新湯の温泉街が見え、そこに向かって下っていく。鬼怒川からのバスはちょうど行ってしまったところだったので、次のバスを待つあいだ、露天風呂に入ったり山菜うどんを食べたりした。食堂では演歌が流れたりして、温泉地的な気分を盛り上げ、何だか心楽しくなってきた。

 午後のバスで塩原温泉へ。まんじゅうを求めて、少し予定より早めの西那須野行のバスに乗り換える。連休ということもあって途中は混雑したが、このまま自動車で東京まで帰るよりはずっと便利である。これでこの旅行はだいたい終わりなのだが、宇都宮でふと思い立って途中下車してしまった。まず、帰りの新幹線の指定券をとった。さてこの一時間半でこの町をどこまで探検できるだろうか。まず、駅ビルの書店で情報収集。
「このラーメン屋に行くぞ」
というので、さっそくそこにむけて駅前通りを歩き出すが、行けども行けども目印のセブン・イレブンはない。よく地図を見直すと、なんと東口と西口とを取り違えていたのであった。しかし、ここまで歩いてしまったらもう戻るわけにはいかない。何か店はあるだろうと路地をのぞきこみながら歩くと、ぎょうざ屋が見つかった。これまでまったく知らなかったが、宇都宮の名物はぎょうざということらしい。焼ぎょうざ二皿と水ぎょうざ一皿を二人でオーダーするとまたたく間に出てきた。ちゃんと最後にうどん粉を溶いたものを流しこんであったりして、なかなか本格的である。元気が出てきた。
 さらに表の通りを歩いて抹茶アイスを食べ、東武線の駅の方まで歩いていった。商店街には東武やら西武やらいろいろな東京の店の出店がある。バス停にしたら七つ分くらい延々と歩いたことになる。帰りは関東バスというバスでJRの駅に戻るが、この関東バスは東京の関東バスとは別会社らしい。一時間半でずいぶんとまた行動してしまった。
 この旅行の特徴は「なりゆき任せ」ということである。なりゆきに任せるまま、箱根から奥塩原温泉へと目的地も変わり、地図がなかったため、ほんとは二時間のコースを六時間もかかるなどという情報にひっかかってしまった。だが、そのおかげで樹林の山からいきなり火山性の温泉地に出る逆コースを楽しむことができたりして、私たちは思いもかけず楽しい五月のハイキングつき温泉旅行にめぐりあうことができたのだった。


澤尚幸劇場・北アルプスゼリービーンズ事件
 アルプス、という言葉は、魅力的な言葉だなと思う。
 梅雨明け十日、まさにその時、私は北アルプスに足を踏み入れることになった。そのアルプスは、登山地図や写真の情報から私の中で醸し出されてきたイメージを遥かに超える素晴らしさだった。
 今振り返ってみると、田舎で小さな山のなかを歩いていたころには、アルプスなんて目じゃなかった。
「登山家と呼ばれる人々が、なんだかよくわからないけれど、ロープやら大きな釘のようなものを打ち込んで登っていくところだ。」
くらいの印象しかなかった。田舎育ちの人にとっては、山というのは特別なものではなく、遊び場の一つでしかない。だから、山に登るということは、山に入って遊ぶことであり、アケビをとったり、グミを探したり、山の中を探検したり、あるいは沢で川遊びをすることだ。今の都会生活を考えるとすごい贅沢をしていたんだなと思う。東京の子供たちが、猫の額ほどの公園で遊びらしきものを楽しんでいるのを見るのは本当に辛い。
 こうした山とのおつきあいのせいかもしれないが、テクニックを使った登山というとどうも特別なものという気がして後ずさりしてしまう。難しいほどわくわくするという登山家がいても一向にかまわないけれど、私はやりたいとは思わない。「登山」というよりは「山登り」というほうが、雰囲気としてあっている。山登りをして、山の中に浸って、ただ「ボ〜」としているだけでも、十分元気になるものだけれど、こうした雰囲気というのは「山登り」でなくては出ないんじゃないかな。難路を超えたという満足感よりは、精神の解放みたいなものを求めたい。私のような田舎育ちの場合には、動物としての人間の山の中での居心地の良さみたいなものも大切にしたい。頂上に立ったときの解放感、満足感というのは格別なものがあるが、それ以外でも、ブナ林の音とか、森林限界を越えるときの解放感とか、森の色、高度での濃い光とか、そうしたものに元気の素が詰められている。さほどたくさんの山に登っているわけではないけれど、森林限界を越えて、山頂がぽっかり見えたときの湧き上がってくる喜びというのが私は大好きだ。まるで紙芝居のように現われては移っていく風景の楽しみが、山登りの醍醐味であると私は思う。
 今年は春頃からずっと、梅雨明け十日こそは「夏山だ!」と決め込んでいた。山の雑誌の夏山特集を買っては職場で昼休みに「ふむふむと」検討をし、一緒に行ってくれそうな人はいないものかと、人探しもした。体力のない私でも相手をしてくれそうな人でなくてはならない。梅雨前には、トレーニングと称して、尾瀬も歩いた。奥多摩で一番急な斜面と言われる、鷹の巣山にも出かけた。それくらい今年の夏山にはかけていたのである。
 心は夏山一色だった。それも初夏の夏山、お天気万全というやつをである。そしてせっかくの夏山だったら、やっぱり一度は
「北アルプスだ! そう北アルプス。やっぱアルプス。」
行き先は決まった。
 今回のルートは、中房温泉から燕岳、大天井岳、常念岳、蝶が岳を縦走、そして上高地に下山。三千メートルに近いものの、山もそれほど険しくなく、エスケープルートも沢山ある。小屋もしっかりしているし、山容も富んでおり、槍や穂高も眺められるのだ。初めての北アルプスには絶好の場所ではないかと自画自賛していた。
 今回私の山登りにおつきあいをしてくれたのは、同僚の桝田、大学の同期の石川の二名である。二人とも山の経験は豊富で、私など遠く及ばない。
 七月二十八日の夜、新宿発の臨時急行アルプス八五号は大混雑であった。通路という通路にはザックが溢れ、各所ではビール片手に大宴会が催されるという、いつもの山行列車の風景がそこには展開されていた。待ち合わせ場所の車両に乗り込んでみると、すでに桝田は座席に座っており、何やらにやにやしている。彼もアルプスを楽しみにしているご様子である。熊本人は「肥後もっこす」と言われるだけあって、はにかみやなのである。半分関西人である私のように
「楽しい、楽しい。」
などと大はしゃぎをするのは男ではない、みっともないことであると思っているのだ。石川も、
「荷物が重くても、安心が第一」
の人で、いつも山のような量の装備を持って、まるで「修行僧」のように黙々と歩きつづけることでつとに有名な人物だ。
 堅いボックス席に揺られて、眠れない夜が明けた。朝の四時過ぎ、穂高駅に着くと、どっと人が降りてホームは瞬く間に満杯となってしまった。さすが、北アルプスと感動するが、今晩の山小屋の状態が気がかりだ。小さな駅前ロータリーにはすでにバスが三台も停まっており、ピストン輸送に備えている。山を意識したカラフルなものから、年代ものの古いバスまで、ありったけのものが投入されているというバス会社の状況がよくわかる。こっちこっちという車掌の取り巻きに駆け寄り、千円のチケットを買った。ザックの類はバスの後ろに無造作に積み上げられ、バスに乗り込む。満員となると瞬時にバスは出発した。穂高の町を過ぎ、バスは山に入っていく。待避所は限られており、無線交信をしつつ、慎重に進む。高度はどんどん上がっていき、高原の雰囲気が出てくると、中房温泉は近い。
 終点にはちょっとした広場があって、優に二百人は超えるであろう人々が、これからのアルプス三大急登の一つへの身支度をしている。
「いや〜、これはすごい。」
修行僧石川が驚嘆の声をあげている。
「アルプスは初めてだけど、こんなに人がいるんだ。」
 ここで朝食とする。私がぼーっとしている間に山慣れた二人が手際よく準備してくれたインスタントのみそ汁、きゅうりの丸かじりとパン、それにコンビーフ。みそ汁を一口一口飲んでは、
「プハ〜、うまい」
と声をあげる。どうして山に来るとインスタントのみそ汁ごときがこんなにうまいんだろう。
 七時半、登山口で記念撮影をして、山登り開始。朝の空気がさわやかだ。燕岳の燕山荘までは五時間の急登で、一二○○mの高度差がある。
 非常によいお天気だ。一○分も歩けば汗がダッと出てくる。汗っかきの私は特に汗が出る。とにかく登山道は混んでいる。我々は追い越しもできず、うつうつとしつつ登りを続ける。それでも四時間も歩くと、登りもゆるやかになり、これから行く表銀座の稜線が美しく見える。これを歩くのかと思うとうれしくなってしまう。
 合戦小屋は「すいか」が名物であった。四時間歩いた体には「最高のごちそう」だ。石川と私は小屋で「天ぷらうどん」を食べ、更にすいかを食べた。いやはやうまかった。
 合戦小屋の奥に登山道は続き、すぐに合戦尾根の尾根線に出た。解放感がある稜線からは、槍が岳も眺めることができる。さすが日本のマッターホルンと言われるだけはあるなと思う。山登りを常食としない人だって、この姿をみれば行ってみたいと思うだろう。それくらいべっぴんな山である。それも表銀座に遮られて、ちょっと頭だけ見えるというのがいじらしい。
 合戦尾根をひたすら歩く。尾根の北側を歩く場合が多いが、斜面の崩れが激しい部分もあり、鼻歌混じりとはいかない箇所も数カ所あった。目指す燕岳、燕山荘は見えているが、ここからがなかなかたどり着かない。目線が高めになるのも、それだけ標高差があるということの証拠であり、決してここからの登山が楽ではないということを示している。とにかくアルプス三大急登といわれるだけはあり、登っても登っても先があるという感じである。特に最後の階段は辛かった。
 燕山荘に到着して、まずは缶ジュースで喉を潤す。一缶、四百円。下界では絶対に四百円なら買わないだろうが、ここまでの荷揚げ賃を考えれば四百円でもいいや、とあっさり手が出てしまう。しばし休憩、ザックを置いて燕岳へ。その花崗岩の異様な山容はキュビズムの近代絵画のような、あるいは、ガウディの建築のような不思議な風景であり、セザンヌの色使いの美しさも兼ね備えている。インスピレーションの沸く山だ。花崗岩の風化が進んでおり、非常に歩きにくい急な登りを、再度じゃりに足をとられつつ登ると山頂である。山頂からの眺めも素晴らしい。裏銀座が規則正しく並んでおり、その先には槍が岳がそびえている。そのまま目を左に移すと表銀座と今日の宿である大天井が見える。
 頂上で昼寝をしている人がいた。気持ちいいだろうな、と思ったが正午も過ぎており、急いで燕山荘へ。昼食は槍を眺めてのカレーライスとなった。燕山荘では大ジョッキが千円という値段で販売されていた。ジュース四百円と比較すると安く感じないわけでもない。だが燕山荘の混雑ぶりをみるとやはり今日は大天井岳で泊まるべきであろうと判断し、ジョッキビールはじっと我慢することにした。
 燕山荘を後にして、表銀座を歩く。最初はそれほど起伏もなく歩きやすい。ただ、
午後の日は高く暑い。腕も日焼けで赤くなってきた。時折、
「フ・・」
と吹く高原の風がお慰みである。修行僧石川はバテぎみとなってきた。
「足がつりそうです。」
とか、
「いや、つらい・・・」
とか、苦し紛れの笑顔を作りつつも、それこそ修行僧のように歩いていく。私は五時間の急登で疲れているものの、アルプスにいるということで気持ちがどっかにいってしまっている。
 大天井への稜線の丁度半分くらいのところに、稜線の切れ目があり、数百メートルの下りと登りがある。ガレ場でどうも歩きにくい。下るとまた登りがあるというのも辛い。このあたりに来ると、修行僧石川も疲れ、私もへろへろ、しかし、もっこすの桝田は元気である。勢い休憩も頻繁、長時間となる。大天井はまだまだ遠い。体が冷えるというのもいやだし、早く小屋についてだらだらしたいという気はあるが、どうも体が動かない。最初のハイペースがこの辺りで疲れにつながったようだ。
 なんとか、急登も終わり、またしてもなだらかな稜線を歩く。槍も少しずつ大きくなってくる。大天井の登山道もくっきりと見える。水平に対して四十五度。絶壁でもあるし、これは辛いなという気持ちが先にたつ。
 表銀座の最後は切通岩の鎖場である。ここには槍への登山道を開いた喜作のレリーフもある。実は私はこのルートでずっとここが気になっていた。とにかく、危ないところはいやなのだから。燕山荘から歩くなかでも、ここの鎖が簡単でありますようにと祈っていたのである。ガイドブックでそれが四mくらいあること、記述がそれほど詳しくないから大層なものではないということは推測できていたが、嫌いなものは嫌いだ。ここでは中年の夫婦連れに出会った。
妻(鎖場の途中で、鎖を持ちつつ)「どうしたらいいの・・・」
夫「降りればいいんだ」
私(心の中で)「そんなの当たり前だ」
妻「え!」(ほとんど悲鳴である)
夫「こわがって体が岩にへばりつくから降りられないんだよ」
私(心の中で)「夫は全く手伝う気はないんだな」
妻「そんなこといったって」
そのうち、
同行者の中年女性「私もどうしたらいいの」
夫「だから、降りればいいんだって」
結局同行者の中年女性のほうはなんとか降りてしまった。
妻「私はいったいどうしたらいいの!!!!」
悲鳴というよりは怒りがにじみでている。
数分後、それでも無事に鎖場通過。その後に続くどこかのオシドリ夫婦の鎖場通過の姿を見て、
妻「どうしてああゆうふうにしてくれないわけ?」
夫「降りればいいんだから」
 我々も何とか無事通過できた。切通岩というだけあり、尾根の両側は絶壁だ。こわいこわい。レリーフの前で記念撮影をして大天井へ。稜線から見える時は急だなと思っていたが、登ってみると、手頃な石が多く、歩きやすい。時間も結構稼げた。表銀座よりずいぶん歩きやすい。五時に大天井岳の大天荘着。
 燕山荘ほどは混んでいないらしい。我々は一○号室に割り当てられた。これ以上人がこなければ我々三人だけだ。五時という時間を考えると、まあ、増えてももう一組というところだろうか。荷物を降ろし、早速ビールを買う。あれだけ暑かったのに、外はもう寒い。小屋の前には色とりどりのテントが並んでいる。ビールを飲むと、おいしいが体が寒くてしょうがない。ひえーである。二九○○mを実感する。余りに寒いのでそそくさと小屋の中へ。
 一○号室に帰ってみるとそこにはやはりお客人がいた。一年一回の山登りを楽しみにしているという中年のご夫婦だった。非常に気さくな人で、ここでご一緒するのも何かの縁ですからといって、柿の種やら、ビーフジャーキーやらビールのつまみを沢山提供していただいた。だんな様の方はビールが好きらしく、
「まあ、まあ」
といってビールを注いで下さる。高度が高いからかもしれないが、酔いが早い。五人でつまみを囲んでの宴会となった。食事前にいろいろと話がはずんだ。ルートは我々と同じだが、蝶が岳から燕岳への逆方向であるとのこと。いろいろ情報収集ができた。
 夕飯はおいしかった。修行僧石川は風邪をひいたらしく調子が悪いということしきり。とにかく食べなければといって食べまくる。調子が悪くてこれだけ食べられるというのはすごい。
私はもう「ぐるんぐるん状態」であり、夕食後はあっと言う間に寝てしまった。
 二日目、今日も快晴だ。早朝の山というのがすがすがしい。光がしっかりしているからだろうか。
 朝食前に大天井岳に登ってしまう。小屋からは一○分ほどだ。大きな石がごろごろしている中をぴょんぴょんとわたっていく。小屋の頂上からは穂高、槍、そして表銀座がちり一つない透明な空気の向こうにくっきりと見える。
「いい山だな・・・」
とつぶやく。
 朝食後、相部屋だったご夫婦と分かれて常念岳へ向かう。偏光フィルターを通しているように山があまりにくっきりと見えるので、山を歩いているというよりは、なにか箱庭の中を歩いているようにも感じられる。このコントラストは結構不思議なものだ。リズミカルにしかも穂高と槍を借景にして歩くこと一時間、東天井岳を回り込むと広々とした斜面が広がる。暖かみのある斜面は今回の縦走ではもっともこころの落ちついたところではないだろうか。山岳部らしき巨大ザック集団や、おばちゃん集団、など点々とハイカーが見える。東天井岳を下ったあたりで逆に見上げてみると、その広さに再度こころが洗われる。相変わらず穂高、槍はすぐそこにある。
 横通岳を過ぎると常念小屋への下りとなる。小屋はそこにあるが、結構下りが長い。常念岳へは下った分だけ登ることになるので、なんとなく損をした気分だ。最初はガレ場、そのうちちょっとした樹林帯となる。森林限界を逆に超えてしまうわけだ。森を抜けると、常念小屋の広場があった。
 小屋ではしばし休憩をする。九時を過ぎて日も結構高くなってきた。早朝の偏光フィルターを通したようなコントラストはなくなり、夏山の青が見えてきた。
 しかし、目の前の常念への登りはどうみても辛い。しかも石ばかりで歩きにくそうだ。そうはいうものの今日の行程は蝶が岳までで、まだ行程が三分の二近く残っている。常念を過ぎれば楽になるであろうとの楽観論を勝手に思いこみ、常念へ出発する。常念への登りは一歩一歩着実にといった登りだ。ルートに沿って一歩一歩登っていく。昨日からの山行で右足が痛くなってきた。ごまかしごまかし登ることにする。一歩一歩高度があがっていく。そのとき、目の前にどうみても保育園児という子供が出現した。
修行僧石川「君いくつ?」
ぼうや「・・・」(ちなみに指で三つといっていた)
三人「!」
 三歳で二八○○mの山へ登るというのはすごいな。足の強い子になるんだろう。
 登りが一服すると山頂が見える。もう一歩というところだ。山頂自体はそれほど広くないが、眺めは素晴らしい。今回の山行の特徴は第一に山の雰囲気が多種多様であるということだな、と気づきはじめた。
 昼食にする。昼食はインスタントラーメンだ。久しぶりに食べたが、こういうジャンキーなものは体に悪いんだよなと思うものの、やっぱりうまい。穂高、槍を眺めながら食べるんだから余計にうまい。
 先はまだ行程の半分あるので、正午には山頂を発つ。南側斜面は切り立っている。登ってきたときに少し下山路が見えていたので、
「これ急なんじゃない、もしかして?」
と思ったが、いや実際下山路を見おろすと、
「はれ〜!!」
という感じである。北側斜面とは対照的と言えるだろう。蝶が岳、そして今日の宿である蝶が岳ヒュッテを遠くに眺めることができる。燕、大天井、常念とも異なり、これからは樹林帯を歩くことになりそうである。この暑いのに、樹林帯というのはなんともいやなものだ。とにかく下っていく。登ってくる人はふらふらしている。常念はどう考えても北側から登るべきである。そのくらいだから下りも気が抜けない。あっという間に四○○m近く下ってしまった。
「せっかく登ったのに・・・」
しかし、その先には再度一○○mの登りがある。樹林帯の中で気も滅入ってくる。登り切るとそこの先には再度下りが待っていた。
「せっかく登ったのに・・・・・・・」
今度は一○○mは下った。完璧に樹林帯の中だ。二四○○m近くはあるといっても日差しも強いし暑い。うっとおしい樹林帯を抜けると、高校ワンゲル集団に出くわした。大きいザックが痛々しい。「さっそうと。」という訳にはいかないが先に行かせていただく。ハイペースでの登りとなった。今度は二○○m以上の登りだ。最後は息絶え絶えといった感じで、頂上近くで休憩となった。蝶が岳はなんとなく遠くなった気もしないでもない。ここから蝶が岳の手前の蝶槍までは一時間のコースだが、一時間では厳しいように感じられる。ここでは、中年おばちゃん集団も休憩をしていた。朝の六時前に常念小屋を出たとのこと。
「いやあ、若い人は早いね」
との談である。いやあ。
 この小さなピークを越えるとそこはニッコウキスゲの群落だった。丁度満開で美しかったにはちがいない。修行僧石川、もっこすの桝田の両人はカメラマンとしての力量を十分に発揮しておられたようだが、私は右足の痛みがピークになってきた。
「早く小屋に行こうよ!」
と声を大にして言いたい状況になっていた。しかも、腕の日焼けも結構きつくなっており、おお、こちらも痛くてしかたがない。なんとかピークを下る。最鞍部は二四○○mを切っている。樹林帯というよりは森林となった。高山という感じにはほど遠い。またしても蝶槍に向け急登。右足がきつい。足を揉んだり、のばしたり、いろいろ試みるが筋がいかれているらしく、どうにもこうにもならない。とにかく登ってしまうしか解決しないのでひたすら登る。景色は目に入らない。常念も見えるが、
「こんなに遠いからこんなことになるんだ」
といった八つ当たりをするくらいで、言葉では
「いい景色だね」
とはつぶやくものの、本心は全く違うところにある。それでも蝶槍には前のピークから一時間でやってきた。蝶槍とはよく言ったもので、常念の方向からは槍に見えるが、下って蝶が岳の方面から見るとただの丘に見えるあたりが、にせものらしくてよろしい。ほとんど祈るような気持ちで蝶が岳ヒュッテに到着。午後三時半だった。ビールを飲んで休憩。昨日同様まわりが早い。一○時間近い山行であった。しかも登り下りの連続というのは常念山脈も楽ではない。大天井から常念への縦走は解放感、常念から蝶が岳への縦走は圧迫感ばかり目立ったという感じだ。夕食前に近くの妖精の池を探しに行く。意外に距離があったが、なんとか妖精の池は見つかった。
「本当に妖精がいるの? こんな泥沼みたいなところに」
というのが本心であるが、お花畑はなかなかのものだったことだけはお知らせしておきたい。池を見るということなら、まあ、行かない方が身のためである。特に右足などが痛む人は。夕食後あっという間に寝てしまったのは昨日と同じだった。
 三日連続快晴とは、神様は正直である。ただ、最終日は突風が吹いているので歩くのは楽ではなさそうだ。昨日作ってもらったおにぎりをザックに忍ばせつつ、下山する。とにかく早く下山してしまって、温泉にでも入って右足リハビリをしたいというのが今日の目標だ。
 朝の四時半に下山開始、一気に樹林帯に突入する。木の根があり、しかも急勾配であるので、右足を庇いつつ歩くのは辛い。途中で朝食をとる。右足をさすりつつ、おにぎりを頬張る。山での食事は三日目だが、空気がごちそうというのがよくわかる。おにぎりもコンビニおにぎりを汚い寮の中で食べているのとは格段の違いだ。
 予定通り二時間半で横尾に下山した。はっきりいってほっとした。怪我ではないものの右足が痛いというのは非常に精神的にはきついものがある。とにかく途中で動けなくなったらという、不安感が広がるのである。横尾まで下山してしまえば、あとはそれほど勾配もない。この分だと上高地までは大丈夫だろう。急に安堵感が広がった。穂高はもう見えない。こんなに下ったんだ、あるいはつい二時間半前はあんな高さにいたんだという複雑な気持ちになる。
 キャンプ場近くの水場で顔を洗う。稜線では水は貴重であった。こんなに水を贅沢に使うのは久しぶりだ。冷たい水がここちよい。 
 河童橋に向けてあるく。一一kmあるというのに少々驚いた。私の住む赤羽から勤め先の虎ノ門までが一○km。東京都内だったら絶対に歩く気がしない。最初は徳沢で休憩。ついジョッキの生に手が・・・・。もういいですよね、あと河童橋まで歩くだけなんですから、と祈るような気持ちで結局飲んでしまった。つまみもなしでビールだけだったが、こんなにうまいビールは昔、八ヶ岳から下山したとき以来だ。
 徳沢から明神までは単調な道、明神から河童橋までも単調な道。ただ、そこは特別天然記念物である上高地のこと、景色は悪くない。鼻歌まじりでのハイキングを楽しむ。
 河童橋到着。今回の旅も終わりに近づいている。そのとき、
もっこすの桝田(以下、も)「澤君、その耳なに?」
こんなこと突然言われても私も困ってしまいます。
澤「え・・・、耳?」
も「ぷっくり腫れてるよ、こんなの初めてみた。」
いやな予感だけがただよう。そういえば、昨日も寝返りをうつと耳が痛かったよな。そんなに腫れているのかな。
修行僧石川(以下、修)「これはひどい、病院で見てもらって、化膿しないようにしておかないと。」
医者の息子である修行僧石川の宣告には妙に信憑性がただよう。
澤「大丈夫だよ・・」
といいつつも、不安なんですねこういうとき。
澤「じゃあ、帰りに上高地の診療所で診てもらうよ。」
修「いや〜、耳の上にゼリービーンズが乗ってるみたい」
も「ぼくは、耳の上に蛭がいるのかと思った。」
おいおい、人の耳だと思って勝手なことばかり言わないでくれ。おまけにぼくは今非常にブルーになっているんだから。まあ、全く痛みもなく無意識だったくらいだから、耳たぶというのはうまくできていると言えるのだろうか。足の痛みなどどっかに行ってしまった。上高地温泉に入る。下山客でたいそう混んでいた。久しぶりのお風呂はすがすがしい、が、耳たぶのことが気になって温泉どころではない。上高地帝国ホテルを過ぎ、バスセンターへ。私は東京医大の上高地診療所へ急ぐ。バスセンターの脇にひっそりと建っていた。
私「こんにちは」
看護婦(以下、看)「ど、どうしました(結構逼迫した声)」
私「ちょっと、耳が焼けてしまいまして」
といって患部を見せる。
看「あれ・・・・」
看「先生、耳の火傷です。水泡ができています」
不安が増してくる。そのうち若い先生が出てきた。看護婦も若いし先生も若い。両方アルバイトだろうか。後で聞いたことだが、こうした診療所の看護婦さんは研修生であるという場合が多いそうである。看護婦さんではなく看護婦見習いだったのかもしれない。
先生「すごいね、山でこんなになっちゃったの」
私「・・・・・・・・・(だってそうなんだからしょうがないじゃないね)」
先生「水泡つぶしますから」
私「お願いします。」
両耳のゼリービーンズをつぶしにかかる。
看「いや・・・いや・・・・、ああ、痛い痛い、あれ〜」
私「・・・・・(あんたね、痛い痛いって、あんたが痛い訳じゃないでしょうが。ちいとは静かにしなさい。だいたい、神経がないから耳たぶは痛くないんですよ、わかってます!?)」
看「ああ・・・・、あれえぇ!」
 この後、私はこの看護婦さんにきっちりと両耳にガーゼを巻いてもらった。両耳に白いガーゼ、かっこいいものではないが、まあ、化膿して大事になるよりはましである。バスセンターでは二人がにこにことして待っていた。
修「いや、ミイラのように包帯をぐるぐる巻きにされてくるかと思いましたよ。」
私「そんなことあるわけない。まあ、これくらいでよかったですよ。第一自分では全く見えないし、痛みもないからどうも実感が湧かないな。」
も「(にこにこ)」
にこにこ、じゃない。
 松本までのバスではしっかり睡眠をとった。上高地で買ったぶどうジュースはおいしかったし、ゼリービーンズもそのあと驚くほど回復が早かった。しかも職場ではその特異なガーゼのおかげで人気者となるという、怪我の功名もあった。そんなこんなで初めての北アルプスは体力的にはさすがにきつかったが、今となっては結構いい思い出になっている。
 教訓。こんど山に登るときは、「キャップ」ではなく「ハット」をかぶりましょう。


今月のダイアローグ・グラナドスの真実
A:こんな対談をしても山とは関係ないし、おまけに終電まであと九分しかありませんよ。
B:いいんです。そこの壁にも貼ってあるように、とにかく「いいものはいいね、すきなものはすき」って渡辺俊明画伯も言っているでしょうが。
A:そうですね、グラナドスのピアノ曲は明るくっていいですよね。弾いていると、どんどん自分の音が明るくなっていくのがよくわかります。
B:この「ゴイェスカス」なんか、和声がすごく美しいし、フランス的おしゃれとスペイン独特のリズムの両方があって、特にすばらしいですね。このラローチャのCDを聞いてみてください。ほらね、こんなところで突然、音を引き伸ばしてるんですよ。ほらまた。難しいですねえ。声部が三つもでてきて、それが対位法的に絡み合うのもすごいし、凝った装飾音も多いし‥‥
A:同じ旋律が何度もでてくるから、曲の盛り上げ方も工夫がいるしね。この曲ではルイサダも苦労してますよ。ルイサダは、あのブーニンがショパン・コンクールで1位になったときの「2位」です。でも、ラローチャって、手が小さいことで有名ですよね。何でこんな和音を弾けるんでしょう。
B:ほんとですね。うまいこと分散和音にしてクリアしてるんじゃないでしょうか。やっぱりグラナドス直系だけのことはあります。
A:ラローチャみたいにバーンと弾けるようになったら、ほんとに気持ちがいいでしょうね。
B:まったく同感です。


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◆三橋正邦・大学院生・東京都◆
奥多摩を歩いてきました。奥多摩駅から鋸尾根経由で大岳へ登り、御岳山へ回ってケーブルカーで降りてくるルートです。このコース、奥多摩駅を降りると全くウォーミングアップなしでいきなり尾根にとりついてしまうというのが欠点です。奥多摩に限らずある程度浸食された山では稜線や沢筋に比べて尾根へのとりつきが急登になっていることが多いようですが、この鋸尾根も同じで、氷川の町からいきなり100m近い標高差を、冗談抜きで傾斜が45度を超えているような石段で登り切ってしまいます。冬場で体が冷えている上に、朝食は稜線に出たところで、なんてあさはかな考えでの空腹で登ったものだからもう一溜まりもなく稜線に出たところでいきなりダウンしてしまいました。まあ、ダウンしたところでどうせここで朝食の予定だったのだから関係なかった訳ですが。(という訳で、私はいきなり登高するコースよりは、しばらくウォーミングアップ用に沢筋をたどってから尾根に取り付くコースが好きです。はい。)尾根筋にでてからはひたすら登っていきます。取り付き部分に「このコース健脚向き、転落骨折多発」などとおどかすような看板が立っていた割には快適な登りです。ガイドブックにはこのコースで一番つらい登り、と書いてあったのですこし覚悟したんですがそんなにたいしたこともありません。やはり冬場で汗が出ない(水の消費が少ない)というのが大きいのかとも思います。やはり冬枯期で視界がいいため、鋸山林道をはさんでそびえたつ御前山のものすごい量感、また氷川の町が見えなくなってからは、都会ではちょっと味わえないような静寂も「なんだかひさしぶりに山にきたなあ」という感じで後押しをしてくれるような感じです。標高1000をこえたあたりから残るうっすらとした雪を踏みつつ昼には大岳山頂につきました。15分に一回休むなどの超軟弱な歩き方の割にはどういう訳かほとんどコースタイムと変わらないペースで来ています。うーん。どういうわけだ?大岳の眺望は真東が雑木に遮られていますがそれ以外はすばらしいですね。私が登ったときは少しかすんでいたのですが、それでも丹沢や富士山、八王子の市街などが一望のもと。ひたすら南東に目を凝らすと霞のなかに江ノ島や三浦半島までがかすかに見え、ここでまた大休止、となりました。