kisaki treckers Jun '97 平成9年6月10日発行
未知の場所へ行こう。
|
チャレンジ特集・もくじ ◆名古屋味噌対決・田中庸介 ◆将監越え・木村栄治 ◆高尾山からの手紙・織田理英 名古屋味噌対決・田中庸介 1997年3月 名古屋へは仕事で初めて行った。そこで、味噌カツと味噌煮込みうどんという、この名古屋の二大味噌料理を訪ねるのがテーマになった。この二種類のものについてはかねてから評判が高く、一度は食べてみなければ話がはじまらないという感じがあったのである。 どちらも東京でまがいものと思われる同じ名前の食品を注文して食べてみたことはあったが、あまりおいしくなかった。以前食べた味噌カツは、味噌が濃くて甘ったるく、非常に胸やけがした。また、味噌煮込みうどんは二度食べてみたことがあった。一回は普通の日本蕎麦屋で注文してみたのであるが、これは単なる味噌汁にうどんが入ったもので、途中であきが来る味であった。二度目は名古屋みやげのキットになっている名店の味噌煮込みうどんなのであったが、その説明書通りに「一分間」しかゆでなかったら、固くて食えなかった。本当にその店で出しているものがそのように固いものなのか、それともそれは「まがいもの」であったためなのか。それを現地で実際に確かめよう、と私はすこし興奮しながら行きの新幹線の中で「マップルガイド」をリサーチしたのであった。 味噌カツは基本的に「とんき」という店しか載っていなかった。味噌煮込みうどんは「山本屋総本家」というのと「山本屋本店」というのが有名どころのようで、どう違うのか分からなかったが、とりあえず「山本屋本店」のほうが行きやすそうだったので、そちらに当たりをつけた。 名古屋についたのは午後遅くのことだった。まず、名古屋駅についてガイドブックで調べたことは、この駅が「名駅」と呼ばれているということが一点。それと、地下街がものすごい、ということが重要なポイントとされている。 「名駅」というのがどうしてすごいか、どのように衝撃的なのかということを少し説明してみると、たとえば他の地方の人はめったにそういう略しかたはしないと思うのである。たとえば、「東京駅」のことを「東駅」あるいは「京駅」と呼ぶということはまずない。だが、名古屋の人は親しみやすく「名駅」と呼んでしまう。さらに、名古屋では名古屋という名がつくところは、そのほかにも「名城」「名鉄」「名港」などと、「名なんとか」と略するか、そうでなければ名も古も屋も常用漢字であるにもかかわらず、平仮名の「なごや」(以前の地下鉄の名古屋駅の掲示)や片仮名の「ナゴヤ」(球場ですね)にしてしまうかだ。名古屋の人はひょっとすると「名古屋」という地名がキライなのではないだろうか、という気がする。 だが、別の解釈もある。「名」という文字は、「名人」とか「名馬」というように、「りっぱな」という意味にふつう使う。だから、名古屋に行って駅や城や鉄道や港というものの名前を見るたびに、「りっぱな駅」「りっぱな城」「りっぱな鉄道」「りっぱな港」というような意味をどうしても思い浮かべざるを得ない。その一瞬の感覚のゆれ、を名古屋人は楽しむのかもしれない。名古屋の人は「りっぱな」ことが好きなのだ。 などと、本当の理由はどうかわからないが、名古屋人たち(名人、なのか?)がどうにかして「名古屋」と漢字で書くまいとしているというのは確かな事実だと言ってもよいだろう。 地下街がものすごいというのは話にはきいていたが、目のあたりにしたのははじめてだった。例のガイドブックにはこの「名駅」の地下街のマップが載っている。いくつもの地下街が連結されていて、それに「エスカ」とか、「ユニロード」とかいう名前がついている。目指すホテルは「ユニロード」の中途を出ればよさそうだと見当がついた。 そこで、新幹線の出口からまず「ユニチカ」に潜ったが、これがなんと、予想に反して途中で終わってしまい、松坂屋のところから地上に出てしまった。何かよくわからないバスターミナルのようなところできょろきょろしていると、目の前に新しいトンネルの入り口がぽっかりと口を開けている。このあたりで地図を大っぴらにとりだし、これだこれだとそこを早速下りていくと、地下鉄の改札口がいきなり目の前に出現した。上がったり下りたりで至極めまぐるしい。そこを迂回して進んでいくと、「ユニロード」の入り口を発見。喜んでカーブした地下街を進んで行くと、地下街が四つ辻になっている場所に出た。どの方向にも同じ様な店が並んでおり、ついまっすぐ行きそうになったが、実はこれは名古屋駅のところから三本の道が合一して一本の「ユニロード」になっているのであるから、左に曲がらなければいけないのだ。そこで左に折れてずんずんと進んでいったが、果てしなく左右に明るい洋品店が続いているのである。つい地上に上がるタイミングを失ってしまい、目指すホテル「フィットネスホテル名古屋303」にはかなり地上を逆戻りするはめになってしまった。 ホテルに荷物をおき、仲間といよいよ味噌カツの旅に出発である。味噌カツ屋「とんき」は地下鉄東山線の新栄町の駅から徒歩九分という、かなりディープな地帯にあり、名古屋はじめてのわれわれにとってはマップルガイドだけが頼りである。 名古屋駅から東山線に乗る。この乗り場がまた珍しく、特筆に値する構造であった。改札口を通ると階段があるのだが、どう見ても同じホームに行くはずなのに、それぞれの階段に書いてある行き先が違うのである。これはどういうことか。 つまり、東山線の名古屋駅のホームは一つしかないのだが、上り列車と下り列車で止まる位置がそれぞれ電車の長さだけずれており、ホーム中央の階段をはさんで上りの駅と下りの駅というように同じホームが使い分けられているのだ。つまり、上り列車は下り列車の名古屋駅を通過してから上り列車用名古屋駅に止まるし、その逆はその逆、というように何だかとても不思議な構造になっているのだ。確かにそうすれば、トンネルを余計に掘らずにホームは有効に使えるのでなかなか頭が良い構造だ。しかし、このような発想の地下鉄の駅は東京ではとんとお目にかかったことがない。地方都市は東京の文化に追随していることが多いが、中京地区たる名古屋はまったく独特の発想で営まれている都市なのではないか、という気分がこみあげてきた。 東山線は新しい銀色の車両で快適であった。が、案内放送に早口の英語がつくのと、やたらとスピードをあげて走るのとで、どことなくアメリカの地下鉄に乗っているような感じがしたのである。 そう、名古屋は実はアメリカだったのではないか、という奇妙な気分は、新栄町で下車するとさらに加速された。「とんき」は、かなり地下鉄の駅から歩くのだが、そこへ行くまでの道は地図で予測したよりはるかにさびれていた。私たちはかなりの繁華街を予測していたのだが、暗いやや広めの道にぽつり、ぽつりと食べ物やがあるだけである。その間の路地はもう夜だったのでまっ暗であり、地図を頼りにその間をショートカットしていくのは恐ろしい感じがしてできない。そして、ついにアメリカそのものというようなステーキハウスが大通り沿いに出現。その前を単に「市営」とだけ書かれたバスが猛スピードで過ぎていった。このバスが他の市を何かの間違いで走ったらどこの市営かわからなくなって困るかもしれないが、そういうことより、またあの名古屋という漢字のタブーのほうがここでもはるかに強いらしい。 とんかつ「とんき」は名店のようだった。おそるおそる入っていくと、手前にカウンター席、それを取り巻くように四人がけのテーブル席がいくつかあった。われわれは二人なのでテーブル席に向かい合ってかけようとすると、浮世絵美人ふうの名古屋顔のおばさん店員に 「混んでくるからね、隣り合って座ってくださいね」 という意味のことを言われ、仲よく並んで座ることになった。周りにはガイドブックを持った出張風のサラリーマンもおり、ほかのガイドブックにも載っているみたいだね、と我々はうなずきあった。だが、メニューにビールという文字はどこを探してもなく、ビールのようなものを飲んでいるグループも見当たらない。あえて言い出すのをこころよしとせず、お茶でいくことにした。 さて、届いた「大味噌ひれカツ定食」は驚いたことになかなかあっさりしていた。味噌ソースは予期していたのとはまったく違い、かなりさらさらしているものだった。例の味噌くささのようなものは全然なく、味噌は薄くのばしてあり、かなり全体的に甘い味付けだった。日本のドミグラスソースだと言った人がいるが、なるほどその通りである。油も軽く、「大」が苦にならずに、上に載った生ネギの味もさわやかに食が進んだ。まずは第一の課題、「味噌カツ」はなかなかあっさりしているということで無事クリアである。非常に気に入った。 でもまだ夜は早い。遊べるときにはすばやく遊ぶというのが私の信条なので、あなたにそびえるテレビ塔に登ることにした。テレビ塔は栄というところにある。ひと駅ではあるが、また黄色いラインの東山線の地下鉄に乗る。駆けこみ乗車の私たちを待ってくれた車掌さんにふと、名古屋の温かさを感じた。 栄は交通の中心であり、地下鉄の駅が上下に入り組んでいる。さらに、名鉄瀬戸線の地下ターミナルもあり、さらにその間がすべて明るい地下街で連なっている。地下街は無個性にファッション系の店がずらずらずらずらと続いており、かなり人工的な印象が強かった。地図を見て当たりをつけ、適当な階段を地上に出ると、そこにはテレビ塔の足がいきなりどどんとそそり立っていた。入場券を買うとエレベーターが待っていてすぐ動き出す。思いのほかすぐに「三階」についてしまった。ずいぶん低い塔だな、と思わず名古屋をばかにしていたら、実はそれは塔の基礎部分の三階で、もっと上にちゃんとしたエレベータがあり、それでちゃんと展望台に上がることができた。 展望台は非常に古く、一周をぐるりと歩くことができる東京タワー形式だった。ここの特徴としては、二階が金網ばりの外気吹き抜けになっていることと、二階に神社があることと、下の景色が未来都市化しているのと、金鯱のおみやげを売っていることの四つがある。もっとあるかも知れないが、重要なのはこの四つである。四つというのはそれでもずいぶん多い。 名古屋の夜景は一見するとふつうの日本の地方都市の夜景のようであったが、よく見るとかなり特殊であった。地上を歩いている人がほとんどおらず、無人の街路を自動車だけが通りすぎていくのである。これは名古屋が地下都市化していることに関係がある。商店街はこのテレビ塔の真下にある広く長い公園状の緑地の下にまるっきり埋没していて、歩く人はそこを歩いているからなのである。アーケードというような生易しいものではなく、すべての店が人工的な地下街路に埋設されている。これは目的があってのこととしか思えない。何か害をなす宇宙光線とか毒の雨とかが地上には降ってくるので、人々は地下空間に生活するようになった未来、というのはいかにも小説にありそうな設定であるが、実に名古屋の人々はその未来都市をもう実現してしまっているではないか。どうしてかわからないが、名古屋という都市はある時期から地下都市になり、都市交通も市営地下鉄が主体となってしまっているということを私はとくに強調して報告したい。そして地上はすごい勢いで信号がついたり消えたりし、それに従って整然と「市営」とだけ書かれたバスやその他の自動車が無人の街路を突進しているのだ。 名古屋の地上は荒れている。このテレビ塔の真下の公園は暗く、虹色にライトアップされた橋などが交差する道路をまたいでいるのだが、その上を渡る人はまったくおらず、実用上の意味があるのかどうかはわからない。そしてさらに、どういうわけかその公園の真ん中からは緑色のレーザー光線が夜空に向かってまっすぐ一本、発射されつづけていた。今、名古屋の上空を航空機などが通過すれば、この緑色の光の柱が突如として視界に入り、 「あ、右に見えますのは名古屋です名古屋です」 などとスチュワーデスが放送したりするかもしれない。そのために発射しているとしか思えないような唐突の光線なのであった。さらに、この公園の脇にはまったくよくわからない広大な空き地もあり、その地面は暗くてよくわからないが、何か駐車場のようにも見える線がひいてある。これは駐車場かあ、とも思えたのだが、よく観察するとその格子模様とはまったく関係なく、この舗装そのものが円状に数箇所くりぬかれており、そのくりぬかれている箇所には何かよくわからないオブジェとしか言いようのないものが立っている。公園にしてはアンバランスであるし、駐車場にしては車がまったく止まっていないし、工事現場にしては囲いがない。ひょっとすると、都市が地下化してしまった以上、地上についてはまったく利用方法が思いつかないので、誰かがクリエイティブな発想をすることでナンセンス・アートの創作を作りつづけているのかもしれない。ああそして、目を転じると高速道路の照明が、黄色い真一文字の横棒として視界に飛び込んできた。 さて、階上は吹き抜けの展望台になっており、風がびゅうびゅうと吹いている。周りを囲んだオリ状の鉄柵には、あろうことかおみくじがたくさんむすびつけてあり、ものすごくオカルティックな雰囲気であった。ぼんやりとした白熱電灯の明かりでよく見ると天神さまの神社があるので、お参りをして、お賽銭も十円入れたが、ちょっとおみくじを引く勇気は出なかった。そこを早々と退散してもう一度階下に下りると、売店があり、いろいろと名古屋グッズを売っていた。普通であれば馬鹿にして買わないかも知れないが、あのオカルト展望台を見てしまった以上、俗っぽい名古屋グッズに心の救いを求めたくなってしまうのは当然のなりゆきであった。 「ノリで買っちゃいましょう」 「ノリでね」 と、「ノリ」を特に強調しつつ、ここで一番よく売れている人気商品だという金鯱のダッコちゃんを一個購入した。これは黄色いビニールでできていて、風船のように息を吹き込んでふくらませるとお魚の形になる。お魚はいかにも何にも気にしていないような脳天気な顔をして海老ぞりしており、あろうことか、手がついているのである。 私たちはこの金鯱くんとともにエレベーターを地上に下りると、地上にただ一軒だけ灯りをともしているオアシスのような店に駆けこんだ。そこはジャズ喫茶のような店で、正面にでっかいスピーカーが二つ並んでおり、LPのジャズがかかってなかなかいい雰囲気である。大盛りのピラフをたべている人が多く、名古屋の人はこんなオアシスがあって幸せだと思った。ここでギネスの缶の本格的な黒ビールを楽しんだあと、ホテルに帰って寝た。何だかよく遊んだ、と思った。 さて、郊外の藤が丘というところで仕事を済ませたあと、かなり疲れてしまったので新幹線に乗る前に待望の味噌煮込みうどんに挑戦することにした。味噌煮込みうどんはあらかじめガイドブックで調べておいたとおり、名駅すなわち名古屋駅の地下街「エスカ」の一角にある。この地下街は駅のコンコースからエスカレーターで降りていくようになっているのが特徴的である。ここで、ひょっとしたらこの「エスカレーター」というのを略して「エスカ」と呼んでいるのかもしれない、という考えのようなものがちらっと意識のはじを通過したようであったが、それ以上あえて追究したりはしなかった。ちなみに、神奈川県の江ノ島には山をくりぬいて登山用観光エスカレーターが設置されているが、この乗り物には「エスカー」という名がついており、 「エスカーこちら」 「エスカーのりば」 というようなペンキ看板がそこらじゅうに立っている、ということがある。 山本屋本店の味噌煮込みうどんは、名古屋コーチン入りという一番高いのが二千円だった。たかがうどんに二千円というのは高いという説もあるが、おかわり自由のごはんのおかずとしてしっかりと食事をとると考えれば妥当である。 ここでも、味噌が重く胃にもたれるということはなく、まったりとして心にやさしい感じに仕上げてあった。印象的だったのは強烈なかつおのだしである。そしてそのような汁がものすごくごはんに合うのである。うどんはかなり腰があったが、以前味噌煮込みうどんキットで体験したような、ゴム棒を咀嚼するような堅さではない。もっと弾力があり、もちっもちっとした感じである。例のキットはこの山本屋本店のものだったらしいことはその隣のお持ち帰りコーナーで発見した。実は次の日くらいまでに食べなければならないということなので、以前は古くしてしまったので間違った印象の味噌煮込みうどんを作ってしまっていたのだな、ということもわかって安心した。もしかすると名古屋人はぼそぼそのかちかちのけしゴム棒のようなうどんを食べているのではないか、という漠然とした不安はみごとに解消されたのであった。ちなみに、入っている地鶏の肉は皮と身ともどもぷりぷりした歯応えがあり、高い金をだして食べただけのことはあった。疲れが回復していくのを感じた。また名古屋に来たら山本屋本店に寄ろうと思った。 というわけで、名古屋でのテーマ、味噌カツと味噌煮込みうどんという、この名古屋の二大味噌料理を無事制覇して私たちは東京に帰ってきた。名古屋というと非常にアクが強く、嫌味な場所であるかのごとく宣伝されているが、私が実地に確かめてみたところではそれとは少し違うイメージを持った。どちらの食べ物の味噌ソースも、東京で出される味噌ソースほど味の濃さを感じさせず、かなりさっぱりとした食べ物なのであった。こてこての大阪お好み焼などのほうがよっぽど味は濃厚である。ことに、「とんき」のとんかつに至っては脂っこくなく非常にあっさりとしており、「大」を頼んで憎くない味だった。むしろ、強いのは「かつおだし」の味であり、味噌よりもだしの味で全体を引き締めているという印象が強い。そしてそれは日本の伝統的な食文化の基礎に忠実であるという点で好感が持てる。 名古屋初体験。そこには想像していたような重く押し付けがましい感じはまったくなく、こんなふうに不思議なほどあっさりと通りすぎてしまった。味噌煮込みうどんの味のように、未来都市というか宇宙都市というか、あるいはアメリカ大陸のような、そういったあっけらかんとした心地よさがここにはある。でもひょっとすると、通りすがりの旅人には決して味わえないような、裏に秘めた熱いものも実はあったのかもしれない。もしそうだとすれば、名古屋という街は、自分の内面を簡単にはさらけださない、かなりシャイな街だということになるのかもしれなかった。 ◆将監越え・木村栄治 1994年1月 (投稿) 市の沢出会いを過ぎ、凍てついた道を滑らないようにして荒沢橋を大きく曲がると井戸沢出会いだ。秩父湖からの大洞林道はこの先でようやく終る。険しい谷間は二つに分かれ、左が井戸沢、右が惣小屋谷である。日もとっぷりと暮れ静かな夜を迎える。タキギを集め火の用意をした。 翌朝、林道終点から惣小屋谷に下ろうとするが大崩壊の岩塊が行く手をはばむ。おっかなびっくり今にも崩れそうな岩を乗り越え谷に入った。朝日に輝く冬の沢は眩い。来て良かったとしみじみ思う瞬間である。しばらく行くと半分凍った三段の立派な滝に出会うがここは左岸を簡単に捲ける。この滝場を過ぎればようやく人の手から逃れた山の中の気分である。新雪の上にはカモシカの踏み跡も見えてくる。谷筋をしばらく進むと顕著な二俣に着いた。右手の本流を進むが、小さいけれども深そうな瀞に行く手をはばまれてしまった。大高捲きを覚悟し、左岸を一五メートルほど上ってみるが上部で行きづまる。見渡せば対岸の尾根も急だ。再び瀞に戻り右手のゴルジエの壁をみる。ヘツリで行けるような気もしてくるがややハング気味だ。私の実力ではドボンの可能性が高い。上天気と裏腹に気分はなえてくる。いっそのこと靴を脱いで渡ろうとするが胸まで水につかるだろう。考えた末、戻ってさっきの二俣を左の沢に入ることにした。これで和名倉山登頂はあきらめ、東仙波をめざすことに変更したことになる。 山の地図によれば左の沢は芋の窪というさえない名がついている。芋の窪はさしたる滝場もなく、複数のカモシカの踏み跡を頼りに進んだ。カモシカの中にはやんちゃなのもいるらしく、氷の滝ですべってシリモチの跡を残したりしている。数個の小滝をよじり、きれいに結氷した幅広のナメ滝を越えると最後のツメとなった。樹林帯の尾根には数頭のカモシカが白い尾をふり、笛をふくように鳴いている。よそ者が近づく危険の合図なのだろうが私には歓迎のあいさつに聞こえる。ヤブこぎとラッセルを二時間ほど費やして、日暮の頃ようやく山頂についた。そこは東仙波の東の肩であった。夕焼けの富士が美しい。たき火をして衣類をかわかし寝袋にくるまった。 あくる日の道中は長い。将監峠を越えて丹波まで十時間はみなくてはならない。朝の東仙波周辺はカモシカたちが走り回っている。井戸沢源流を左に滝川源流を右にみて、気持ちのよい稜線が続く。浅間、上越の山々が手にとるようだ。気になることもあった。稜線のところどころにみる焼けただれた大木の残骸だ。これは、昭和四十年代の山火事によるものだと将監小屋の主人に聞いたことがある。たき火の不始末で一週間も燃え続けたという。だとすれば、東仙波周辺の自然再生は不自然なことになる。焼けてからすでに二十年はたっているはずなのに、辺り一面笹山ということはどういうことか。頭の中でブツブツつぶやきながら歩いていると雪の稜線に足跡が現れた。右手の和名倉山へのトレースである。和名倉山一帯は戦時中にかけて大規模な伐採が行われた。今でも当時利用した伐採ワイヤーが至る所に見かけられる。それから五十年、山は自然が復活されたといわれる。はたしてそうだろうか。幸いにして和名倉山は一部を除いて造林からは免れている。だからといって自然林が蘇っているとはとうてい思えない。 頭の中でつぶやくのもいいかげん疲れたころ牛王院平についた。この辺りは東京都の水源地として保護されている気持ちのいいところだ。奥秩父縦走のトレースを尻目に将監峠を下る。小屋の水場でラーメンをすすっていると犬がよってきた。あげるものは何もないよ、というと犬はつまらなそうな目で私を見た。小屋には主と犬が三匹、静かなお正月を過ごしている。小屋の便所の上手から下ればあとは一本の道が東京へと続くだけ。そこへ一歩踏み出す私の正月もこうして終わり、平凡な一年がまた始まるのだと思った。 ◆高尾山からの手紙・織田理英 1997年1月 朝、6時に目が覚めました。遊ぶときだけは、目覚めが良いのですが、この日も例外ではありませんでした。朝食をとって、シャワーを浴びて、さて何を着ようか。山は久しぶり。しかも「冬山」は初めてかもしれない。そう、私にとっては高尾山だって「冬山」。ジーンズではいけない気がする。風を通さないで重ね着ができて、万が一の雨にも平気な服。前日の晩のうちに用意しないのは、うかつでした。迷いつつ、長袖の黒いセーター、通勤時に好んで着ている厚手の茶のジャケット、ゴルフ用のレインコート、そして古びた乗馬キュロットというずいぶんちぐはぐな服を引っ張りだしました。要はアウトドア愛好者でもない素人なのです。デイパックをしょって、靴底がなめらかになってきたウォーキングシューズにちょっとした不安を覚えながら玄関を後にしました。早朝から営業している自宅近くのパン屋で昼食用のパンとチーズを仕入れ、都営新宿線の船堀駅に向かいました。職住近接で外出には自動車を使うことが多い私には、久々の電車を使った遠出です。退屈しのぎに本を読みながら都営新宿線から京王線に乗り継いで90分ほど、高尾山に近づくにつれ電車の中には、ハイカーらしき人や家族連れが増えてきました。子供の小さな叫び声に釣られて、窓の外を眺めると、雪景色と言ってしまっては、やや大げさな、でも私にとっては1年ぶりにみる雪が土の上に残っています。東京都は、狭いと思っていましたが、私の住むアウトサイド・オブ・ダウンタウン(つまり下町より郊外だという意味)江戸川区との、気候の違いにかなり旅情が盛り上がってきました。気分は、『関東甲信越小さな旅』といったところです。もっともそのNHKの長寿番組はいつのまにか『小さな旅』と改題して今に至っていますが。なぜ題名から「関東甲信越」がなくなってしまったのだろう。まあ、たららーたららーら、らーーらららーというおなじみの美しいテーマ音楽が変わらなければ文句ありません。 そんなこんなで集合場所の高尾山口駅に到着。同じ電車に乗っていたであろう澤尚幸さんと私は10分遅刻してしまいました。こんなときの遅刻仲間は、心強いものです。このたびのトレッキングの企画者の田中庸介さんと、初めてお目に掛かった画家の平井千湖さんにごあいさつして、まずは高尾山頂に向かいます。駅を出て、外に向かって右に進み、赤いもみじ橋の脇からケーブルとリフトの清滝駅前の広場にでます。歩いて山頂に向かうのであれば、この右側の表参道を登らなくてはなりません。ここは東海自然歩道の東の起点なのだそうです。 「ケーブルカーにしましょうか。それともリフトにしましょうか。」 結局、誰も今まで使ったことが無いからという理由でリフトで山頂まで行くことになりました。どちらか安い方にしようという提案は、両方同額だったので即却下。しかしリフトで正解だったようです。おだやかな風に身をまかせて、目の前にそびえる山をリフトで上っていく気分は、随分爽快でした。明るい顔の軽装の人々が、楽しげに山頂へと向かっていきます。 約12分、平井さんと二人乗りリフトで足をブラブラさせながら、同い歳であること、同じ大学の彼女は文学部に、私は商学部に通っていたこと、共にSグループ系重厚長大メーカーに偶然就職したこと、退職したこと。今はどんな毎日を送っているのか、などなど語り合ううちに山上駅に到着。彼女も山体験は少ないそう。その他の共通点に加え、親近感が湧いてきます。どこで勉強したとかどこで働いたかということは、人と人とが付き合う上で大して重要ではないことなのですが、それゆえ町ではあまり話題にもならないことなのですが、山の上ではそんな他愛のない話がさらさらとできてしまうものだとちょっと不思議になります。 それにしても記憶というものはあてになりません。今、高尾山の詳しい地図を目の前に広げて記憶の細い糸をたどると、この網目のように広がる高尾山頂の道をどのように歩いたのか、どうもはっきりしないのです。主なルートだけで6コースあるせいでしょうか。おそらく、かすみ台、十一丁目茶屋、タコ杉を過ぎ、杉並木を抜けていきました。神域特有の杉の木の巨大さに高尾山が修験の山だと実感されます。 「初詣しましょう。」 今年は元旦の浅草寺に続き2度目です。初詣ではないかもしれないけれど、参詣者で賑わう雰囲気の良い薬王院の境内にすっかりご機嫌になってしまいました。トレッキング+初詣なんてますます縁起がよいというものです。にぎわう社務所前の売店でおいしい、もとい霊験あらたかな味がする薬草茶をいただいてから、奥に進みます。 「私本当は信心深くないんですよね。」 「僕は験をかつぐし、縁起物は大事にするんです」 「自然科学の世界の人が何で?」 いそいそとお賽銭を準備する田中さんの手元を見ながら、心中かなり仰天しました。 賽銭あげて粛然とかしわ手。 「でも、神社まだまだこの奥にあるんですよね。」 「え。またお賽銭あげるんですかあ。」 そろそろ次に登りましょう。本堂脇の石段を上がり、権現堂にたどり着きます。ちょっと修験場ふうの景色が現われてきました。6畳位の広さのある石の祠です。これが奥の院でしょうか。ストイックな修業地の跡に見えます。 「写真撮っちゃ不謹慎な感じですね。」 「おどろおどろしいですね。」 しかし今私の手元には数枚の奥の院で撮った写真があります。 参拝を終え、高尾山頂に向かいます。途中見晴らしの良い地点がありました。ショックだったのは、大規模な集合住宅を始めとする開発された町並みが、山の麓まで続いてきているのを眺めたことでした。『関東甲信越小さな旅』の世界に陰がさす一瞬です。しかしこれこそが現実なのです。しかも日頃私は東京の最も東京らしいところで楽しく遊んでしまう人間なのです。そんな私に 「自動車乗るのちょっと控えよう」 と思わせたのは、やはり杉の木の精気でしょうか。 薬王院を出て20分ほど経過しました。 「今日は何だか疲れないんですけど。」 「とーぜんです。日頃の疲れを癒すために歩いているんですから。」 「そう言えば歩く速度もゆっくりですね。」 「だからこれはサブタイトルが『忙しい人のためのトレッキング』なんですよね。」 「山に来ると疲れが取れるの?」 「心身共に何となく調子が良くなります。しかもその効果が1週間くらい続きますよ。」 何てありがたい話でしょう。いままでハードな山登りを敬遠していた私としては、これなら続けられると嬉しくなってしまいました。 「お腹空きましたね。」 「そういえば、国立においしいケーキ屋さんがあるんですよね。」 「そういえば、恵比寿においしい蕎麦やがあるんですよね。」 「そういえば、荻窪においしいラーメン屋があるんですよね。いえ、春木屋じゃありません。」 お腹が空いてくると、うまいもの情報の交換に余念がなくなります。お腹が空いていようといまいと、マイペースに上記の基本文型を駆使して飲食店情報をアウトプットし続けてくれるのは、多才な澤さん。その才能のひとつで東京ケーキ店ブックを以前作ったことがあるらしいのです。そうこうして高尾山の頂上にたどり着きました。広い山頂ですが、思い思いに弁当を広げる人々で混みあっています。澤さんと田中さんは茶屋でおでんを買って昼食の足しにします。平井さんは筑前煮、卵焼きなどのおかずとおむすびの盛り沢山の手作り弁当を皆に分けてくれます。紙コップを用意してくれてお茶までおすそわけいただく我々一同、平井さんの手料理の美味しさと豊富さに感動。 共通の知人の近況を話したり、『エクストリーム』と『キテる』ということは違うかどうかというテーマで議論したりするうち、ふと気が付くとここで随分時間が過ぎたようです。重い腰を上げて次のポイントに向かいます。しかし出発早々に思わぬ難所が待ち受けていました。足元が雪景色なのでした。 「写真撮りましょう。写真。1月に冬山に行ったんですって、人に見せるから。」 「あ、だめです。ここは。もっと雪が多そうなところが背景じゃなきゃ。」 「わ。滑った。」 「高尾山をあなどっちゃいけません。」 という「雪山」地帯を抜け、周囲が平坦になって桜の木が増えてきました。一丁平に出たようです。トイレがあります。その先には水場と東屋。何と整備が行き届いている山でしょうか。ここは。東屋の脇に掲示された地図を見ながら、 「こんなに来てるんですね。私達。」 「え。キテる?」 「いえいえ。来てる、ですよ。」 「ここでコーヒータイムにしましょう。」 田中さんの荷物から、アウトドア用のガスコンロと水のポリタンク登場。感心したのはコップに一杯ずつ装着するタイプのコーヒーフィルターです。花の飾りの付いた角砂糖まで用意されています。その気合の入った準備に、はたと気がつきました。今日の主目的は山に登ることではなく、山頂でおいしいコーヒーを飲むことなのだろうと。小さくても火力の強いコンロのお陰で早くもお湯が沸き上がりました。プラスチックののコップがくにゃっとしそうなほど熱々のコーヒーを雪の厚い地面に埋め込んで覚ます猫舌の平井さんと私。昼食に引き続き、コーヒータイムも長引くのでした。 一丁平を出て30分ほどで次に到着したのは、城山山頂。木製の椅子と机が数多く並び茶屋があります。「おいしいなめこ汁あります」の貼紙にちょっと心魅かれます。広々としている割には人もまばらで少し涼しくなってきました。 「ここから相模湖が見下ろせますよ。」 「あ。ずっと下に水面が一部見える。」 日も西に傾き始め、城山山頂を早々に後にします。下山途中の尾根筋の道で、平井さんの装着中のコンタクトレンズが片方外れるというアクシデントがあったのですが、目を皿のようにしても探し出せず、残念ながらあきらめることとなりました。レンズが外れる原因になったのは午後2時を過ぎて強くなってきた風でした。それにしても、なぜこれほどコンタクトレンズは高価なのでしょう。トレッキング用の靴を買うことに決めた平井さんにはまた買わなければならないものが増えてしまいました。 「今日は高く付く一日になっちゃいましたね。」 「はずれやすい体質だったら、今度は使いすてレンズとかどうでしょう。」 下るにつれて足元に見えていた相模湖がどんどん大きくなってきます。視界をさえぎっていた左側の木々がふと途切れると、西側の眼下に雲の間から薄日が差し込む神々しい光線の下に相模湖と山々が見下ろせました。美しいパノラマの手前には女性2人連れの先客がいます。一人ずつ交替で写真撮影中でしたので、二人が一緒に収まった構図でカメラのシャッターを切って差し上げたら喜ばれました。こういうときはお約束です。 「写真、撮りましょう。全員の撮っていただきましょう。」 「逆光じゃない。」 「それが、いいんですよ。レンブラント効果が出てます。」 「?」 「ほら、あの雲のすきまから差し込む光。宗教画の背景みたいでしょ。」 これが山中での最後のスナップ写真になりました。杉林の中の緩やかな下りの道を登りとはうってかわった軽快な足取りで降りていくと30分もしないうちに雑木林を抜け、店頭で燻製した自家製たくあん「いぶりがっこ」を売っている茶屋にぶつかりました。茶屋の軒先を抜けると日当たりの良い民家の脇の道に出ました。両側は畑です。 「ここから相模湖駅までは?」 「歩けば40分くらいです。」 「ここからはずっとアスファルトの上だけど。」 「吊橋に迂回しなきゃいけないんです。」 「すぐ下のバス停まで行ってバスの時間確かめましょう。」 国道20号沿いの千木良のバス停はどうやら相模湖駅行きのバスが行ったばかりのようでした。 「タクシーに乗りましょう。」 「歩かないんですか?」 「今までせっかく気持ちのいい所を歩いてきたのに今更排ガスの中歩きたくないです。」 「でも流しのタクシーは無理みたいですね。」 「ヒッチハイクしましょうか。」 「猿岩石にもできたんです。やりましょう。」 「わああ。ここ東京都です。やっぱりやめましょう。」 結局バス停付近の雑貨屋で平井さんがてきぱきとタクシーを手配してくれました。 私達は中央線に乗り、そろって新宿に向かいます。もちろん高尾山中で、おいしいもの情報が百出している間に今日の晩ごはんをどうするかという話題も幾度となく出たのです。しかし、未だに確たる結論の出ないまま新宿に向かうことになりました。 幸い異論なく、新宿御苑前の北京料理店「随園別館」に行くことになりました。水餃子、合菜戴帽(野菜と卵のクレープ包)、酸菜火鍋(冬期限定の白菜の漬物の鍋)、卵の黄身の炒めを食べて満足しました。北京の食堂は本当にこんな雰囲気だろうと思わせるこのお店は大変お薦めです。お腹の減った私達4名が食べきれないくらいの量で、特に前2点のメニューはまた来たときも必ず注文しそうなくらい美味しいのです。但し、自分で選んでおいてなんですが、卵の黄身の炒めものはやめたほうが無難でしょう。デザートを食べずに店を出た私達の次の課題は、どこでケーキを食べようかということでした。 「新宿っておいしいケーキ屋さんが、あまり多くないんですよね。」 新成人の晴姿が目立つ新宿通りを抜けて、新宿三越の地下をトレッキングした末、三越の脇にある澤さんおすすめの洋菓子店「ルブラン」に入りました。 「山は、楽しいですね。」 「また行きましょう。」 「今度は八ヶ岳にも行ってみたいです。」 「それは夏がいいでしょう。」 「次は石老山辺りがいいですね。」 「せきろうざん、ですか?」 この日は19時過ぎに解散。次回石老山行きは早くも2月11日に実現したのでした。 |